saoriotsuka-diary

イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

最近の仕事紹介です

いやー、暑い日が続きますね。今日は最近の仕事紹介をいくつかまとめまして。

 

ダイヤモンドzai9月号で「図解!投信の買い方ガイド!」特集ページイラストを描きました。

 

こちらはnico8月号で「鼻うがい」の特集ページです。実は鼻うがいってやったことないんですけど、よさそうなのでやってみようかなあ?

 

PHPスペシャル8月号で李家幽竹さんの風水の特集記事の挿絵を描きました。

李家幽竹さんのご本で以前イラストを描いたこともありまして、そちらについては前にこちらで紹介もしていましたね。

saoriotsukadiary.hatenablog.jp

 

また、11月に行われる東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団さんの第365回定期演奏会 歌劇「トスカ」の特設ウェブサイトの中でイラストを描いています。こちらは仕事をしたのは実はコロナ直前ぐらいでして、延期になっていたのですが、ついに無事公演となりました!

www.cityphil.jp

挿絵の入った物語紹介になっておりまして、人物相関図つきで読み応えがあります、ぜひごらんくださいませー。

 

それと、日経新聞の毎週の挿絵「元気の処方箋」、最近はこんな感じの絵を描いています。

 

仕事というのは、やるのは当たり前の日々なんですが、紹介はつい後回しになりがちですね。「実働好きの営業(経理も)苦手」みたいなの、自由業にありがちなジレンマだと思います、ははは(それじゃいかーん)。

ですんで、いつもついついまとめてになったり紹介しきれないものもあったりですが、せっかくなら多くのひとにみてもらいたいなあとも思います。

自分で見返すと、ひとつひとつの仕事が大事だなあとつくづく思ったりもしますしね。そろそろHPの仕事実績のコーナーも更新しなくては。

菜食晩酌日記 第17回 つりさがる ゴーヤ数えつ ほくそ笑む

というわけでゴーヤの季節ですよ。
我が家のゴーヤカーテン、今年は遅めにスタートしたんですが順調で、毎日2つづつぐらい収穫でき、うきうきゴーヤライフを満喫しています。この部屋は強烈な朝日が当たり朝5時ぐらいから寝苦しかったのですが、近年はゴーヤカーテンと遮光カーテンのおかげ(遮光カーテンだけより明らかに効果あります)で、エアコンなしでも快眠です。日よけにもなるし、おいしいしで、なんて優秀なの、ゴーヤ!
ちなみにここは北向きのベランダなのですが、朝日しか当たらないのにゴーヤもよく育つし、下の方の日陰ではかいわれを育てるのにもちょうどよく、他には万年だんまりのミョウガ空芯菜、シソなどを育てている食い気しかないベランダです。

まあ、いずれも日陰なんで、そんなに大きくなってはくれないんですが。

 

さて、ゴーヤの楽しみは1日にしてならず。
まずは蕾を丹念に眺めて雌花を発見するところから期待に胸のときめきが止まりません。

観察してるとハチっぽい大小さまざまな虫たちがひっきりなしにやってきているので受粉に不安はない(ありがたいですね、がんばれ虫ちゃんたちよ)のですが、ついついわたしもおせっかいで雌花を見つけると雄花をちょんちょんとくっつけてみたりします。しっかり実を結んでおくれ。

かくして、わたしの期待とともに膨らんでゆくゴーヤ、ついには収穫。ほほほ。

そして毎年育てている割に、「いつが収穫ベスト時期なのか」というのがよくわからなかったりもするんですが、だいたい大きくなってきて、ぼこぼこが大きくふっくらしてきたら採っています。が、「あと1日待てばもっと大きくなったんでは?」と思う事もあるのですが、だからといってあと1日待ったら次の朝はゴーヤ大爆発の後、覆水盆に返らず状態を発見したりもしばしばありまして、人間の欲深さを戒めてくれるありがたーい植物ですね、ちぇっ。

上は日当たりが良かった実、下は葉の陰で育った実。味は特に変わらないような...。

 

 

そうこうして毎日採れるゴーヤ、どのように食べてるかというと、意外とレパートリーは少なくて、

 

1位 ゴーヤのペペロンチーノ

これ大好き。毎日これでいい。まいたけと油揚がベストパートナー。きりっと冷えた白ワインに合うね。

 

2位 ゴーヤチャンプルー

これも大好き。毎日これでいい。大豆ミートそぼろタイプと豆腐で。ビール持ってきてください。

 

3位 ゴーヤのくるみ和え

いつも書いてますが副菜ならこれで決まり!ビール追加で。

これは前にレシピ書いてますね。

 

という感じ(暑くて献立考えるのがめんどくさいというのもありますね)ですが、他にも、唐揚げとか、ナムルとか、ピリ辛の佃煮とか、チヂミとか、可能性は無限に広がっており「もうゴーヤは飽き飽きだよ」とかは全然ならないような気がします。書いてたらお腹減ってしまいました、今日はめずらしく唐揚げにしてみよっと。

ではでは。

タトゥイーンでは物々交換

先日、ホームセンターに行ったら、R2D2が餅を売ってたんですよ。

何の話だって感じですが、買い物中にふと後ろに気配を感じて振り返ったらR2D2みたいなサイズ感の歩行ロボットが販売促進要員として駆り出されて、なんだか餅的な商品を店内で売ってたんです。人にぶつからないような距離感を保ちつつ練り歩くその姿。そしてその餅を誰も買おうとしないさまを見て、

「テクノロジー なければないで よくないか」

と一句読んでしまいました。なんだかフシギな光景でした。 

 

まあ、餅屋ロボットはシュールなのでなんとなく気になったんですが、気がつけば電車の改札はもう昔はカチャンカチャンと切符切ってたなんて若い人に言っても冗談だと思われてしまうんじゃないかって感じでプリペイドカードすらいらずに電話で払ってますし、スーパーのレジでも自分でピッなんつってカゴに入れる時にバーコード読んでますし、OKアレクサとか呪文を唱えればあれこれしてもらえるらしい(わたしはしてないですけど)し、お掃除ロボットちゃんは猫を乗せて家中闊歩してますし(うちには導入されてないですが)、当たり前のようにハイテクに取り囲まれて久しいです。

 

便利っちゃあ便利なんですが、ハイテクを使いこなせない人やガジェット持ってない人には逆にその便利さまでたどり着くのが難しかったりもしますね。古参のハイテク、PCとかだってセットアップとかインストールとか今でもタイヘンなままですし。そうした「進化」、ちょっと前までは「親の世代などはもうついて行けないよなあ」なんて思ってたら、いよいよ自分もなんだかもうついていけないなあと感じることが最近多くなりました、特にお金周りのことについて。

 

というのは、銀行のネットバンキングを利用してたんですが、最近制度が変わりましていろいろ手続きをしないといけなくなったんですが、そういうのがもう異常に面倒くさい。あれをするためには別のあれが必要でそれを手に入れるためにはこれを郵送で再発行して、その再発行したやつを使ってアプリの設定をするにはまた銀行に直接行って別のあれも手続きしなきゃいけなくて、銀行行ったらハンコ忘れて一回戻り、やっと満を持してアプリの設定をしたら、また新しいパスワード考えなくっちゃ、とか、SMSから送られたワンタイムパスワードをアプリ切り替えてるうちに忘れた、とか、もう中高年の脳みそには厳しいです。

このサービスではないですが、「SMS認証を送りました」とか言われて待てど暮らせど送られてこないんだけどハテ...?と思ってカスタマーセンターに電話したら15分ぐらい待たされてついに人と話せたと思えば「そのお問い合わせはこちらではないので別の窓口を...」みたいなことが延々と続いた事もあり、世の設定と名がつく作業のすべてが煩わしい。便利ってなんだったっけ...?という虚無感に襲われています。

↓ちなみにこういう認証システムも苦手です。

 

銀行に限らず、電話の契約とか、ネットの契約とか、最初は「ハイここにちょこっとお名前と住所書いていただければ気軽にすぐどなたでもお使いになれますよ」みたいな謳い文句でやってきたのに、知らぬ間に運営会社が変わったとかルールが変わったとか決済方法が変わったとか、手続きを強いられた際には「100年前ぐらいに設定したパスワードがないとどーにもこーにもにっちもさっちも行きません」とか「その身分証明書はもはや身分証明になりません」「あなたのご登録はありません(いやそんなはずはない)」みたいな事が判明して愕然とする、というような事が多いです。

 

ところで、スターウォーズのような未来世界ではお金の決済ってどうなってるのかしらん、そういやあんまりお金払ってるのとか気にしてなかったな、と思って検索してみましたら、スターウォーズの鉄人さんという老舗ファンサイトではこのように説明されていました。

www.starwars.jpかいつまんで言うと、「宇宙共通便利通貨チップがあったんだけど、戦争で信用不安が起こって現金やローカル通貨が重宝されるようになって、帝国が崩壊したら両替すらままならなくなったので最終的には物々交換」って感じでしょうか(合ってる?)

 

次々と移り変わりの激しいテクノロジーにも翻弄されがちですが、しかしさりとて物々交換に回帰した世界も、交渉能力が低くて計算も苦手なわたしのような人間には結構きびしいね、あーこりゃ。

ちなみに、わたしは人間力も低く気が利かないタイプなんで、「小さな集落で人間関係のあたたかさで成り立つ交換経済社会」みたいなユートピアにもうまく馴染めないのではないかとも思ったり。だめじゃん。でも、世の中そういう人間関係下手の人、わたしだけでなく結構いると思うんで、そういう人へのニーズを当て込んでAIチャットなどが活発に開発されてるのかもしれないな、と妙に腑に落ちたりして。(そしてAIに尋ねると埒があかずに堂々巡りになり「人間と話をさせて!」という気分になる事も多々です)

 

脱線しましたが、お金の決済などの手続きも究極的にはAIチャット的なものがもっと進化して「ヘイ、AIちゃん、面倒くさい手続き全部代わりにやっといてくれる?」とか話しかければ一挙解決、というところまでいけばいいんじゃない?と思わなくもないんですが、そうなったらなったでセキュリティが非常にやばそうでやっぱり心配です。助けてオビワンケノービ!

 

仕事の紹介です

またご無沙汰しちゃいました。

さて、少し仕事紹介でも。

こちらは5月号のしんきんsmileさんです。しんきんsmileさんでは時々仕事をしていますが、今回はサウナについてです。梅雨のじめじめ期、サウナとか行ったらすかっとしそうな気もしますね(と言いつつ、サウナって行ったことないんですが!)

 

梅雨といえば、「はれ予報」の吉永みち子さんのコラム「鳥の目虫の目魚の目」、6月のテーマはずばり梅雨でした。降り込められるのは憂鬱ですが、逆に言えば家でやることに集中できる季節かも、というところに吉永さんは注目しています。

 

確かにそうですね。わたしも、気候がいいとついふらふら遊びに行きたくなるんで、冬とか梅雨のほうが仕事や家でやらなきゃいけないことに集中できるかも。イラストは梅雨の不思議な空気感を意識してみました。

しかし梅雨はきのこ見にいかなきゃいけないというのもありますが。脱線しますがこないだ今年初のタマゴタケちゃんに出会いましたよ。

ほーらりっぱなぴかぴかのお姿。

 

さて、集中の香山リカさんのコラム「医者のココロ、患者のキモチ」、今回のテーマは

医療現場での「ガスライティング」。


ガスライティングというのは最近よく聞くワードですが、なんじゃらほいというと、映画「ガス燈」が語源で、この映画の中では主人公が必死で訴えることを、夫が「この人は疲れてるから...」とかみたいに言い「妻(主人公)がおかしい」と印象付けるんですね。そういう感じで「この人の言うことはまともに取り合うようなことではない」というような印象付けを行ったり、そのために相手を混乱させるような状況を作ったりして訴えの正当性を無化しようとする、そういう嫌がらせというか心理的な追い詰めのことを言うそうです。ガス「ライティング」なのにされた方は照らされるどころか煙に巻かれてしまうというような感じですね。

この場合、訴えてる側が権威がなかったり弱い立場で、ガスライティングを行う側が権威側だったり強い立場だったりすると周囲の人はそのガスライティングに従ってしまうことが多いので、医療などの現場でも患者さんの訴えがお医者さんによって悪意がなくともガスライティングされてしまう、という事が起こってしまう可能性はあるというようなお話です。

香山さんはいつも、タイトル通りお医者さんの立場からの心理も、患者さんの立場からそれがどう感じられるかも考察してくれて、こういうお医者さんがいると頼もしいなあと読みながらいつも思います。

 

 

裏にも絵がちょこっとあるのがかわいい。

こちらは以前も紹介したので見たことあるかとも思いますが、彩図社さんから出た「教養として知っておきたい33の経済理論」、四六判、大判と出て今度は文庫版になりました。様々な版を重ねて多くの人に読んでもらっているようでありがたいですね!彩図社さんでは「論理的思考力を鍛える33の思考実験」とその続編もロングセラーになっています。いずれの本も読みやすいように楽しいイラストをふんだんに描いておりますので、機会があればご覧くださればうれしいです。

 



 

ところで。

今年は11月末におおの麻里さん、門馬則雄、わたしの三人、noranoha で展覧会をしようと思っておりまして、現在作品の構想中です。

久しぶりの展覧会なんで楽しく絵を描きたいですし、いろいろ新しいインスピレーションを得たいなあと思って本を読んだり画材を試してみたりと頭の中が忙しかったり習作段階で、まだ展示作品を作るぐらいにはなかなか進んでないというか試行錯誤中なんですが...ははは。梅雨なんで引きこもって集中したいものです。ぼやっとしてるうちにすぐ11月になるし、怖っ。

こちらの件はまた追ってたびたびお知らせいたしますね、お楽しみに(してね!)

noranohaはこちらです。

noranoha.thebase.in

 

ではではまた。

 

コンポストふたたびの巻

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

お前はどんだけコンポストの話が好きなんだ。って感じがしますが、はい、好きなんです。今日はお題をお借りして便乗しておりますが、コンポストほど「もっと早くやっとけばよかった」と思うものはありません(いや、他にも貯金とか勉強とかあるけどさー、それらはもう手遅れじゃね?というかやる気あんのかって感じが...)

 

さて、ということでコンポストの話題をしつこくしていくわけですが、読む側の方が好きかどうかわかりませんので、今回は好きな人のみを対象にしております、すみません。

 

先日図書館でこういう本があったのを見つけましてですね。

(余談ですが大和市の図書館Siriusは城みたいな図書館で無限の蔵書といくらでもいられる快適空間で最高です、近隣市民なのに使わせてくれてありがとうありがとう)

 

結構昔の本なんですが、なかなか興味深いです、というか、めっちゃマニアックでコンポストに投入するものの特性とか窒素リン酸カリ比率とかかなり詳しく載ってたり、コンポスト愛好者には必携の一冊となっておりますんで、古本探して(絶版みたいなんで)手元に置いときたいです。

ただ、アメリカの広大なスケール感なので日本のちまちましたベランダコンポスト愛好家には参考にならない部分もありますが。「オレンジやグレープフルーツの加工工場の近くに住んでいる人は、ぜひともその工場の廃棄物を使ってください」とか「ワイン醸造所では、ブドウをしぼる時期にブドウの皮、種、茎などの廃棄物がトン単位で放出されます」みたいなトラックで工場に乗り付ける気満々の人向けの情報とかがままあり、まあ関係ないですね。

オレンジの皮といえば、わたしがバケツコンポストを始めた時「かんきつの皮は入れないでください」って説明を読んだ気がするんですが、あれはなんだったんだろうか。農薬や防腐剤とかの影響を気にしてという事かな?...と、わたしは前から常々、本などで「コンポストに◯◯は入れないほうがよい」と書いてあるのを読んで、なんで??って思うことが多かったんです。

この◯◯にはいろんなものが入るんですが、まあ、明らかに分解されないもの(プラスチックとかね)や有害なもの(化学物質とか)は分かるんですが、他のものは大体「分解が遅い」という話で落ち着くようです。先ほどの本ではその辺も理由など詳しく書いてあり、例えば松の葉はクチンというワックス状物質で覆われていて分解が遅い上、酸性度が高いので堆肥が酸性に傾くらしいです(ブルーベリーの土に入れるとかならいいかもしんない)。

でもオレンジについてはその本には「いい窒素供給源になる」とはあったんですが、入れちゃダメとかそういう説明はなかったです。アレ?。松葉のクチンのようにリモネンも影響あるのかなと推理したんですが、やっぱりよくわからないですね。

分解の遅さの話に戻るんですが、どうも堆肥にするものに窒素分が少ないと分解が進まないというメカニズムがあるようです。枯葉、特に水分を失ったものは窒素分が低いらしく、そういうものを大量に処理する場合窒素分を補うほうがよさそうです。だから枯れ落ち葉はコンポストというよりもっと時間かけて腐葉土にするのかな、ははーん。

なお、植物性のものより動物性のもののほうが窒素分は多いらしいんですが、うちは動物性のものはないので、他の植物性の窒素の多いものは何かしら、とか調べるのにもこの本は便利です。

ちなみに、ヘンな話ですが、本によると猫などペットの毛と人間の毛は窒素分の補給になるので堆肥に混ぜてよいそうです。が、排泄物とかはダメです、トキソプラズマとかとかいろいろありますし、衛生管理が難しいですからね。というわけで、猫ちゃんの抜け毛は混ぜてもいいかもしんない。

また、わたしの体感では分解が遅いものはとにかく細かくして、切り返し(混ぜて空気を送る)をまめにやればよいかなという感じがします。

去年の秋ですが、グリーンカーテンのゴーヤを撤収した時に大量に残渣(枯れたもの)が出ました。こういういっぺんに大量の剪定枝が出た時などはうちの貧弱なバケツ式コンポスターではすぐいっぱいになっちゃうんで仕方なくゴミに出したりしてたんですが、やっぱりそれもなんだか負けた気がする。と最近は思いまして。残渣だけで積んで腐葉土にできないかと作り方を調べたんですが「枯葉を適度に湿らせて積んで踏んで、1年」。1年はちょっと待てねえな。やっぱり土の力を借りるキエーロ的なコンポスト方式が早いのではないか。

というわけで、いつものコンポスターとは別のポリバケツっぽい容器を用意しまして、土を入れ、ひたすらゴーヤの枝とかを細かくちょきちょき切ってですね、土に米ぬかとともに混ぜ込んで埋めときました。

で、経過を見てたんですが、ちょうど冬に向かうんで分解速度も遅いというのもあるんですが、枝が結構「わしゃセルロースでござい」って感じのままで、3日に1回ぐらい切り返してたんですが、どーも「土に繊維混ぜた感じのやつ」という状態、言ってみりゃこれ塗ったら土壁とか作れそうな様相なんですよ。こりゃいかんな、まだちょきちょきが足りないね。というんで、思いついた時にちょきちょきちょきちょきハサミでその繊維を切りながら混ぜる事ひと冬(暇人)。

春になって気温が高まって、やっと最近いい感じに分解してきました。そこで、ちょっとさらに実験を。春になるとベランダのあちこちでダンゴムシちゃんを見かけるわけですが、そのゴーヤのバケツを二つに分けまして、片方は集めてきたダンゴムシちゃんたちに引っ越ししてもらい切返さずにダンゴムシちゃんパワーに期待、片方はダンゴムシちゃんなしで切り返し続けるとどっちが先に分解してくれるかしらん。というのを今試しています。

ベランダ履き掃除した時に出たマサキの葉も若干入ってます。

 

途中経過としては、やっぱり切り返してるほうが早い感じはするんですが、ちょっと覗き込むと昼間ダンゴムシちゃんたちが集まって眠ってたりするので、なごむ。というよくわからない展開になっております。で、もっとお食べ、とか雑草引っこ抜いたのとかもさらに追加してみたりして、もうなんか比較実験どっかいっちゃってる今日この頃です。...って結局1年近くかかってるような...素直に腐葉土作っとけばよかったかしらん。

 

ところで、うちのコンポストで「いつまでも分解しないでいるヤツNo.1」は圧倒的にかぼちゃの種です。発芽してくるのも多いですが、殻もいつまでも分解しないですねー。ま、気にせず土に混ぜちゃってますけど。あと落花生の殻もしぶといです。あとはやっぱりマサキとかオリーブの葉も遅いですねー。これらをダンゴムシちゃんは食べてくれるのか、今後その辺を研究していきたい。

ではでは。

 

過去のコンポスト話はこちら。

 

  

 

 

月の光を浴びる場所

先日、ナショナルジオグラフィックの記事で、カメが夜に日向ぼっこのように甲羅干ししているのでは、という記事を読みました。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

実は今までもカメたちはふつうに夜そのように行動してたらしいんですが、人間がそのことに注目してなかったようです。理由としては、記事によると体温調節などが関係ありそうです。が、これはわたしの感想なんですが、カメたちも「なんかさー、月明かり浴びて水辺でぼんやりしてるのって、チルじゃね?てか、月光浴ってロマンチックね」みたいな、ただ心地よいからしている、というような感覚もあるのではないかなー。

わたしたち人間は、朝日や月や、海や山とか、壮大な風景を眺めたりそこにいたり、爽やかな風を感じたりするの、好きじゃないですか(いや、どうかな、好きじゃない人もいるかもしれないんですが。少なくともわたしは好きです)。ただそこにいるのが心地よい、という感覚です。わたしはよく公園に行くんですが、公園で見かける鳥とかも、天気のいい日はなんだか楽しそうに寛いでいるように見えるし、猫も窓辺で日向ぼっこしてる時は楽しそうです。まあ、科学的に言うと、日光浴によりビタミンDを生成とかセロトニンがとかあるのでしょうが、「楽しい」という感覚も、他の動物だってあるんじゃないかなと。

ともあれ、夜になると世界のカメたちが月の光で整ってると想像すると、夜の楽しさもまた増すってものよ。

 

ところで、カメといえば、子供の頃「浦島太郎」の話がなんとなく納得いきませんでした。カメを助けて竜宮城でカメやひらめや乙姫たちと楽しく過ごして、ってところまではいいんですが、なんでカメ達はお土産に嫌がらせのような玉手箱を持たせたのか。そもそも「開けてはならない」なんてもの、くれないでほしいです。絶対開けたくなるよね、ふつう。

wikipediaによると(それかい)この後半の「約束を破ったものに災いあれー」というか「酒飲んで浮かれて楽しくやってたら後が怖い」みたいな道徳呪詛的展開は後付けで足されてきたみたいですね、経緯はよくわかりませんが。

 

でも、浦島太郎の立場になってみると、楽しく過ごしてた間に自分が元いた場所では時間が経過し、家族や知人はすでに世を去り、価値観も変化してしまった見慣れぬ故郷が突然出現してしまったわけで、そこで途方にくれた時、「過ぎた年月」を返してくれた玉手箱はある意味親切なのかもしれません。と、最近、いろいろテクノロジーや価値観の変化に戸惑うわたしとしてはちょっとおセンチに考えてしまったりもします。ホラ、AIで三秒で素敵イラストとか描かれたりした日にゃ、なんかもう商売あがったりだなというか、自分が一気に老け込んだような気がしちゃったりしなくもない世の中だよなあと。

が、人によっては、「いや?変わってしまった世界でもなんとかわたしは生きていこうじゃないか、アイウィルサヴァイヴ!チャンスをくれよ!」という意気込みの人もいるだろうし、そうなるとやっぱり玉手箱は余計なお世話かもしれませんね。

 

しかし、浦島太郎の話の冒頭の「カメがいじめられているのをみたら、良くないこと、かわいそうなことと思い、助けに入る」というような価値観は、悠久の時が流れたとしても普遍であってほしいな、とも思うんですが、案外あっという間にそういう価値観もパラダイムシフトの危機というか、最近は外来種問題などで、「駆除やむなし」という風潮からなんだったらザリガニとかアカミミガメとか子供に駆除体験までさせるという話も聞き、なんだかやるせないです。

わたしがそこにいる子供だったら、「やめてカメをいじめないで」とか止めに入って顰蹙を買うやもしれません。ああ、現代社会の価値観にわしゃもうすでについていけない、やっぱり玉手箱ください。てな気分になってきます。

 

確かに侵略的外来種は在来環境を脅かし、わたしたちがすぐには見て分からないかもしれないけど複雑に絡み合う生態系の営みを壊し、他の在来生物などの命が失われたり、多大な負の影響を及ぼす、というようなこともあるので、環境問題的な解としては「そこにいてはいけない」のだろうと思います。それは分かる。分かるんだけど「そこにいてはいけない=デストロイ」というのを、なんのためらいもなく是としていいのかなあ、という倫理的モヤモヤは残ります。や、でも、「じゃあ外来種は別のところに移してそこで保護してその代までは終生飼養して環境から除去していきましょう」とか、本当はしてくれたらいいんだけどなと思いますが、環境中に拡散されてしまった外来生物の数を考えるとそんな予算もマンパワーもないというのが現状だと言われたら、確かにわたしだってそんなお金持ってないですし、しゅん。ああ、無限の大富豪だったらどうにかしたいものです(他にも無限の大富豪だったら、世界の飢餓問題とか、いろいろやれることあるのに。ちっぽけな宇宙の藻屑である我にしゅんとするばかりです)。

 

ともあれ、せめてこれ以上かわいそうな外来生物を増やさないためには、中西悟堂じゃありませんけど「野の鳥は野に」、もうめずらしい生き物とか世界中から日本に無理やり連れてきて飼ったりするのはやめて、そのめずらしい生き物の本来の生息場所の保護とかを応援したいものだよなあ。と思います。もちろん、今すでに飼ってる生き物は一生大事に世話しようね!逃しちゃだめだよ!

 

きっと日本中のアカミミガメちゃんたちも、夜な夜な月の明かりを浴び、見知らぬ遠い故郷の見知らぬ記憶をたぐりながら、懐かしい今の「故郷」であるここで心地よくまどろんでいるのかもしれません。

 

ではでは。

 

水を撫でる

最近「何もしない」という本を読んでて、まあいろいろ「有用さからの脱出」を試みる先人の話などが出てくるのですが、読んでて、自分もそういうつもりでなくともついつい有用性というか、「役に立つー立たない」の枠組みにとらわれていて意味のあることをやらないといけないのではないかというプレッシャーを無意識に感じているものだなあ、と気づかされます。ですんで、ブログでももっとたわいのないことをどんどん書いてゆきたい。というわけで今日のブログは本当たわいのない話です。

 

皆さんはお風呂が好きですか?わたしの場合、お風呂に入るのは「好きだけどおっくう」という感じです。入るまでは億劫でぐずぐずと引き延ばしがちだけど、湯船に浸かるのは気持ちいい、という事で、わたしは入るまでにもダラダラし、さらに入ってからもついのんびりしてしまう。まったくほめられたものでないナイトルーティンですが、まあ、とにかく湯船に浸かるのは好きです。


お湯、というか水というのは不思議だなあとつくづく思います。他の、例えばメープルシロップとか、醤油とか、油とか、液体は体につくとべたべたしたりするのに、水はさらっとして、乾いても残らず、匂いもなく、無害ときてるんですから、水のいかに人間フレンドリーなことか。

(まあ、もちろん、物事には負の部分も付きもの、その一方で溺れたりとか洪水とか、紙など濡れたらおしまいのものなどもあり、清潔でない水は病気の元だったりもしますが、今はそういう例外的な話ではなく日常使いの水との関係のお話ですんでその辺は割愛します、ってなんの言い訳なのか)


風呂の話に戻りますが、そんな水のままの「透明な美しさ」が好きなので、入浴剤などは入れないのが好みです。※

で、最近はまっているのが、

「お湯に浸かりつつ、手のひらで水面を撫でたり、触れては離したりすること」

です(さて、いよいよ暇人も極まれり、って感じの話になってきました)。

 

ポール・エリュアールの「Poisson」という詩に


Le poisson  avance 
Comme un doigt dans un gant

(魚はすすむ
手袋の中の指のように)


という一節があります。
魚と水の関係をなめらかな手袋に滑り込む指にたとえるとは、なかなか思いつかない粋なフレーズですが、魚でないわたしでもこの感じはなんとなくわかるというか、静かな水の中で手をそっと動かし進める時、水はまるでそのように敵意のない滑らかさをたたえています。


でも、水面を手のひらで押したり離したりするときには、もうちょっとお互いの圧を感じるというか、表面張力の快い抵抗感、撫でると指先にかすかに伝わるざわめき、水の流れの妙が感じられて楽しいです。ああ、水という存在に触ってるな、という実感を楽しむというか。というわけで、いつも風呂で水の表面をぽよぽよ触ったりしています。(...はずかしいほど無意味な話してますね。)

 

でも、日常の中にもあるこういう「感覚」に没頭してると、生きてる、とか、自分を取り囲む森羅万象って超すごい割に普段全くそのすごさを当たり前のように享受してるのに気付かないのもすごい不思議だなとも思います。他にも、毎日朝焼けの天体ショーとか、あれもすごいなと思います。あんなすごいもの、ひっそり毎朝やってるんだよ、地球!って感じです。

 

まあ、でも、油断すると頭は雑事やらこの世の世知辛さですぐ満たされて感覚にフォーカスするリソースがどんどん減ってくるので、頭の中に詰まったあれやこれを水に流す時間はやっぱり無意味じゃなくて、大事かもしれないです、わたしの場合。ではでは。

 

 

 

 

※頭の中の雑事は水に流したいものですが、ちなみに、風呂などで流れていった水はどこに行くかというと下水から最終的に海ですが、最近気になってるのが、雨の日の後などに、なんとなく町中が洗剤とか柔軟剤っぽい匂いがするような気がするんですね。

柔軟剤などのマイクロカプセルは「徐放」という効果があって、すぐにやぶけて成分を放出するのでなく、徐々に崩壊していくらしい(ので、香り長持ちだそうです)ので、河川や海水にまでカプセルが崩壊せずに到達して、水棲生物にも影響があるのでは、というのは研究されていて、二枚貝から類似の香料が検出されたという研究もあります。やっぱり、下水処理するとはいっても、いろんな洗剤とか香料が入ったものとかあんまりたくさん使ってしまうと魚とか環境には負荷がかかるんじゃないかなあ、って感じはしますんで、わたしは生活廃水対策としては、皿洗いは洗剤なしでたわしでこするだけ、まあ汚れがひどい時だけ少量の石鹸か重曹電解水(菜食なんで油汚れとかひどくないからこれだけで十分きれいになるので)、掃除も重曹か少量の廃油石鹸、洗濯は過炭酸ナトリウムで柔軟剤は使わずという感じにしております。シャンプーだけは石鹸シャンプーは苦手なんで、「少なく使う」を心がけてます、とりあえず。

        

NATIONAL GEOGRAPHICラーニング英語テキスト「Vantage Point」のお仕事としんきん「はれ予報」の今月のイラスト

NATIONAL GEOGRAPHICラーニング/センゲージラーニングの英語学習テキスト「Vantage Point」で挿絵を描きました。著者はEric Hirataさんという方です。

 

 



イラストは他にもまだまだあります。ちょっと変わった状況なんかも描くの楽しいですね。

イディオムの意味を考える問題で、イディオムのヒントをイラストで描いております。どれがどんなイディオムか想像してみてくださいね(って、答えは書かなくてすみません、学習のネタバレになるといけませんので...!)

この仕事では、HPのこの絵↓

を見ていただいて「こんな感じの絵の雰囲気や配色で」とご指定いただいたんですが、自分でもこういうシンプルな感じの配色は線画が引き立って好きです。こういうふうに、HPからご指定いただくとご先方の作りたいイメージがわきやすくてありがたいですね。(もちろん、そうでなくても全然大丈夫ですが!)

ここでちょこっと自分のイラストについての話なんですが、わたしはあまりタッチを変えてるつもりはないというか基本不器用なんでタッチの使い分けとかはしてないつもりなんですが、それでも色のつけ方とか内容のトーンによってちょっとずつ違いもあるので、その辺のニュアンスをクライアントさんの要望に応えて最適解で出せてるといいなと思いながら普段仕事をしています。

HP、たくさん絵を載せてるのでぜひご活用くださればと思います。近々また近作もアップしようと思いますので。

 

 

こちらは毎月担当しているしんきん会報誌「はれ予報」吉永みち子さん連載「虫の鳥の目魚の目」のイラスト。今月はサプリメントについて。現代社会って栄養に関する情報が多い割に「自分は足りてるのかな」みたいなことがわかりにくくて、つい体にいいと言われると摂らなきゃいけないのかも、と思ってしまいますよね。

実際の印刷紙面はとてもきれいに出てるんですが、例によってわたしの写真へたくそによりちょっと暗くなってますんで、原画も。

 

わたしの場合菜食なんでよく菜食だとビタミンB12が摂れない、Dが不足する、あれがこれが、と世の中で話題になるのでやっぱりちょっとは気にしていて、健康診断などでお医者さんに相談したりしますが毎回診断結果は良好で「どれも数値に問題ないんで別に気にしなくていいですよ」と言われるので、まあ、今の所は特にサプリなどはあまり摂ってないですねー。

前にも言った話と思うんですが、B12だけは完全菜食だと摂れないと言われてるんで、わたしも以前は2−3日に一回サプリを摂ってましたところ、検査してみたら逆に摂りすぎになってたみたいで通常値より3倍ぐらい多かったのでした。ザ・過ぎたるは及ばざるがごとし。ですんで、今はニュートリショナルイーストを料理で摂ってるぐらいで、たまーにサプリ飲むぐらいです。

(ちなみに、ご同朋の菜食の方向けの情報なんですが、こんな本が最近出たそうなんでわたしもこれ読んで勉強しよかなと思ってます。カナダの公認栄養士さんが書いてるらしく、よさそう。が、わたし、考えてみると2007年以降一度もスーパーなどで肉買ってないぐらい長くて、まあ、最初は卵とか魚とかは少し摂ってたんですが、気づけばもう10年近くそういうものもやめて久しいので、もし栄養的に問題あったんだったら今から本読むんじゃ遅くない?って気もしますが)

 

あとは、お酒を飲むとB群を消費するらしいんで、飲みすぎた時にはBコンプレックスを飲んでみたりしますが、効いてるのかどうかはわかりません。飲みすぎたら何やったって二日酔いになるんだよ!と自分を呪う二日酔い。ああいやですね二日酔い。

 

てなんかまた盛大に脱線しました。

まあでも、わたしは日経新聞Plus1さんの仕事でもお医者さんによる健康リレーコラム「元気の処方箋」の連載をもうすんごい長い間担当させていただいているので、健康情報は知らず知らずにいっぱい頭に詰まってるかも。役得です。

 

ではまたー。

 

菜食晩酌日記 第16回 個性は集団に埋没す?

以前、友達が言ってたことで「なるほどなあ」と思ったことがあります。それは野菜炒めなどをする時に、一品の中に野菜をあれこれ入れると、まあそれもおいしいけど、そうすると「全体にただおいしい」になってしまうのですが、あえて使う種類を抑えて野菜1品とか2品などでシンプルに炒めると、「その野菜が」おいしいなあ、というのがしみじみ分かるということです。確かにそれ、あるんですねー。

 

いろんな野菜のハーモニーが楽しめる八宝菜的な炒め物も好きだしよくやるしそれはそれでおいしい。のですが、たまに、なんだったらもやしだけで塩コショーとか単純なものをぱぱっと作ると案外「ああ、もやしってうまいな」と感じられて楽しかったりもするんですよね。

もやしとか、他に豆苗には特に感じるんですが、他の野菜と混ぜてしまうと「あれ?豆苗どこいったっけ?」と存在感ナシナシになりがちなんですよね。なんだかそれはもったいない。むしろそれだけで塩コショーとかニンニク風味で炒めた方がおいしいと感じます。中華料理の一品料理、豆苗炒め、空芯菜炒め、ああいうノリですね。

 

よく野菜でチヂミを作るんですが、お好み焼きと違って、チヂミは一種類の野菜だけで作るのが好みです。

 

これは春菊のチヂミ。昔はじめてチヂミを作ろうと思って見たレシピが粉少なめ(少しの小麦粉と片栗粉同量だけです)だったんで、うちではいつもこんな「春菊のカタマリでござい」ってな雰囲気のものになるんで本場のヂョンとはなんだか違うものになってるのではないかと思いますが。

でもこの粉少なめレシピ、野菜の味そのものって感じでおいしいです。酢醤油でいくらでもビールが進む。

 

また、2つぐらいの材料種類のタッグ、「この組み合わせでこの調理法」がぐっとくる、というやつも結構あります。子供の頃に知った料理や、居酒屋で知った料理が多いですね。

うちの定番の「この組み合わせで決まり!」はこんな感じです。あくまでわたしの味覚の主観なんで、みなさんの好みとは違うかもしれないのであしからずなんですが。

 

カリフラワーとにんじんのスープ

カリフラワーと千切りにしたにんじんを炒めてからスープにしたもの。炒めたら水をいれて、少々の野菜だし(なくてもよい)、醤油、コーンを入れるだけというシンプルなスープ。この組み合わせ、にんじんやコーンの甘さとカリフラワーから出る風味がすごく合うんです。カリフラワーっていい出汁出ますよね。これを拡張するとポトフになると思うんですが、カリフラワーとにんじんだけでも十分おいしいです。

 

ほうれん草とコーンのマヨサラダ

子供の頃給食のメニューだったこのサラダ。ほうれん草を茹でて、コーンとマヨ、塩コショウで和えるだけなんですが、ほうれん草の食べ方としてかなり好きです。これを小松菜で置き換えてやると同じようにおいしいように思われますが、うーん、なぜかそうでもない。やっぱりほうれん草がいいです。マヨを入れすぎると「マヨ」になってしまうので、若干控えめで、あればブラックソルトを少しかけると吉。

 

ゴーヤのくるみ和え

これは以前にも書きましたけど、ゴーヤを薄切りにしてちょっと茹でて、くるみなどナッツを刻んだものとペーストにしたもので砂糖醤油みたいな感じで和えたもの、ゴーヤの苦味とナッツの濃厚さを少し甘い和え衣が包み込んでオツです。

 

春菊のくるみドレッシング

これは上のゴーヤと同じ原理で春菊のほろ苦さとくるみが合う。春菊の場合は、エゴマ油とか亜麻仁油をちょっと効かせて、それでいてさっぱりと醤油麹黒酢ドレッシングみたいにするといい感じです。海苔とかトッピングしてもいいですね。メインにはあまり他の具材は入れず、ひたすら春菊のおいしさを味わいたい感じです。写真は豆腐ステーキの付け合わせ的に盛ってます。

同様に、にんじんもくるみと合わせるのが定番でもちろん好きです。これは世間的には「キャロットラペ」というやつなんだと思うんですが、よくあるキャロットラペのレシピにはレーズンとかドライフルーツも入ってることが多いんですが、個人的にはドライフルーツ類を入れると甘すぎというか、にんじんだけの甘みを味わうぐらいがちょうどよいです。にんじん、くるみ、あればクレソンとかパクチー、その三つで、こちらの場合のドレッシングはレモンとマスタード、オリーブオイルに塩、っていう感じが好きです。

 

ジャガイモとグリンピースのサラダ

にんじんサラダのドレッシングと同じ味付けで、細切りにして茹でたジャガイモとグリンピース、という組み合わせも好きです。じゃあ、これににんじんとくるみとパクチーも入れたらいいんじゃない?とは、ならないんですねー。それはちょっとメンバー多すぎ、というか、同じステージ上にドラマーが三人もいなくていいじゃろ、みたいな感じになっちゃうんですねー。過ぎたるは及ばざるがごとし。

 

にんじんと大根のなます

和食の定番ですが、間違いのないおいしさです。ゆずの皮なんかちょっと入れると最高ですね。というか、和食は野菜1〜2種類でおいしいみたいな調理法の宝庫です。胡麻和えとか、酢の物とか、煮びたしとか。

 

上記のようなメニューは、挙げた材料以外に、ついでだからあれも入れようかな、とか余計なことをすると、なーんか味がぼやけて、残念だったなーって感じになりがちです。やはり個性を生かすには引き算の美学なのか。

が、しかし、そうでもないメニューもあります。豆のサラダとかは、トマトやらセロリやらケールやらピーマンやら、ある野菜も全部豆と同じぐらいにきざんで入れると大変おいしい。野菜の宝石箱なんじゃよ。

というわけで、今日の趣旨をひっくり返すようですが、いろいろ入ってる「総勢百人の合唱団的魅力」を持つ料理も、まあ、ありますね。

 

なお、菜食びと的にはひとつ思うのは、肉を食べてた時には気づかなかったんですが「この料理、肉入れないほうがむしろおいしいな」ってもの、結構あるなーと思います。別に菜食びとでなくとも、たまには試してみるのも愉快ではないかなと思います。どの組み合わせがどの野菜の知られざる魅力(家庭料理なのにそんな大げさなもんでもないですが)を引き出す、自分の味覚にぴったりなコラボレーションの妙を生み出すのか、発見するのも大人の楽しみ?かも。

 

ではまた。

書籍「わかる!できる!看護主任」と雑誌「集中」の仕事の紹介です

今日は仕事紹介を。

「わかる!できる!看護主任」(古橋洋子氏著・Gakken)の本の表紙と挿絵を担当しました。豊富なイラストでわかりやすく看護主任の仕事について学べる一冊です。

 

医療系の仕事では、他にもあまり出稿範囲がオープンでない(なので、ここで紹介できないんですが...)専門業界誌の仕事も連載したり、いろいろしているのですが、こちらの雑誌「集中」では香山リカ氏のコラムイラストを長く連載で担当しています。時々紹介してますが、最近のものをまた紹介。

この回では文中の話題の、AI的マニュアル対応でない、患者さんとの心の通じるコミュニケーションのあり方を考える上で、医療本などだけでなく文学などを読むことも一助になるのではないか、というようなあたりをイラストにしました。

毎回、お話の中のどこを拾って興味をひくようなイラストにできるか考えながら仕事をしています。

連載のタイトルの通り、患者さんの気持ち、また医療従事者さんの中でも様々な立場の人の心理、両方の悩みに寄り添う配慮の行き届いた優しい視点の連載なのです。デリケートな読者さんも多いこのジャンル、まあ、このジャンルに限った話ではないんですが、わたしも読者の心に寄り添える、というか、安心して見ることができるようなさりげなく暖かいイラストを心がけたいなーと思っております。