saoriotsuka-diary

イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

「お金・仕事・家事の不安がなくなる共働き夫婦 最強の教科書」

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東洋経済新報社からの新刊「お金・仕事・家事の不安がなくなる共働き夫婦 最強の教科書」 内藤眞弓 著、成宮 成(dig) カバーデザイン(ともに敬称略)のカバーイラストと中の挿し絵を描きました。カバーはデザイナーさんに色を決めていただき着彩いたしました。こういう場合はいつも、特色版の部分を同系色のCMYの版(今回はC版)で描いて納品しています。

おもに男女カップルでお子さんがいる・持つ予定がある共働き家庭で想定される、生活とお金、仕事の様々なシーン、ライフステージでのヒントがたくさんあり、不安なこの世を渡っていくのにとっても力強い一冊ではないかと思います。わたしには子供はいないのですが、そういう人にとってももちろんお金や働き方や気持ちにゆとりを保つ為の考え方などについてためになるお話が多々あって、ふむふむと読み進めますね。また、周囲のお子さんのいる家庭との付き合い方の理解にも役立つような気がします。

 

* * *

 

さて、この本の冒頭に、親世代と今の子育て世代では社会情勢がすっかり変わってしまって、昔の、親世代の頃の感覚ではやっていけないというお話があるんですが、「80年代は定期預金10年で資産が倍になった」「東京の新築マンションの価格は70年代の5倍」など、確かにそうなんですが、言われてみると驚愕ですね。ひぃー、昔ってそんなだったよね。それに比べて現代社会よ、タイト。超タイト。自分の親世代だけでなく自分もなんとなくその頃の感覚、「将来はなんとかなるさ」みたいな気楽さの記憶をぼんやり引きずりつつでついそういう夢を求めてしまいがちなのですが、現実の厳しさは容赦なく襲い来るのですよ。いろんなことがいろんな方面にめちゃ不安ですね。うーん。でも、すでに厳しい時代に生まれたもっと若い人のほうがその辺の感覚はシビアに持ってるのだろうと思うと、うーん、若い人のほうがもっと(精神的にも)しんどいですよね。ごめん...。大人がめげてる場合ではなく、生活の安心の大元になる政治とかシステムとか、やっぱりその辺にまず希望が持てる社会にしないとですねえ...。

 

ところで、またブログ更新の間がちょっと空いてしまいました。8月中旬から父が急に肺炎で(covid-19ではないです)入院してしまい、気持ちが落ち着かなくて、仕事はきちんとしているのですが、それ以外のことが全体におろそかになってしまっておりました。父は持病はありつつも普段の生活に支障なく過ごしていたのに突然のことで、この社会情勢でここのところあまり普段会って話もしておらず、その後も入院したままなのですが、病院もコロナ厳戒態勢につきお見舞いにもあまりいけませんで、ただよくなるのを願うばかり、しかしまだ闘病は長丁場になりそうで、わたしができることもあまりないのに心が宙ぶらりんで焦るような、しかし実際は何も手につかないような状態で過ごしております(句読点の多さに心の混乱が現れてしまいました)。こういう時、仕事があるとかえって心が落ち着くというのがありますね。それと、わたし自身の日常は通常通り過ごしておりますのでどうぞご心配なく。

しかし、こういうことに直面してみると、病気の人の苦しさ、また家族など周囲の苦しさ、医療従事者の方々のご苦労、いろんなことをつくづく感じ、今、かつてなく病気の脅威に皆が晒されているこの状況は、本当に難儀なことだなあと思います。気が滅入ってくるのですが、世の中がこんなだもの、そりゃだいたいの人はなんらか気が滅入ってくるのは当たり前かもしれず、低調気分はわたしだけじゃなかろう、とも思います(さっき希望が持てる社会にしたいとか言いつつ暗いですね。いや、でも、曇に隠れて今は見えないけどお日様はなくなってはいないはず...ですよね)。皆様、どうか無理せず自分をいたわってご安全にお過ごしくださいね。そして病める時も健やかなる時も万人を支えてくれるような社会であってほしいと切実に願います。

楽しきはドールハウスあるいは箱庭

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せっかくホームページを更新したので、その中から仕事の紹介などもボチボチしてみたいと思います。イラストを描く時、表現する題材、媒体によって表現方法が若干変わったりするのですが、書籍の装画など、画面の構図をばしっと決めて簡潔に見る人にメッセージを伝えたい時には比較的平面的、シンプルな表現、メタファー的だったり単純化したモチーフやアイデア勝負で描くのがわたしの好みです。

 

いっぽうで、上のイラストのように、説明的なイラストレーションなどではもう少し写実的というか立体的というか、細かい部分を描いたりするものもあり、そういうのも案外好きです。

こういう絵を描いてると、子供の頃絵本で街並みや家の構造の絵などを見るのが好きだったなーとか思い出しますね。各部分で、ここの部屋の人はこういう人でー、この戸棚はこんな風になっててー、とか、この街角ではこういう事が起こってて、みたいなちっちゃなシチュエーションを頭の中で考えて描いたりします(見る人もそういうのなんとなく考えながら見たりしますよね、こういうイラストって)。

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画数は多いですが、適正な時間さえいただければ(とは言っても、そんなに長期間でなくともいいんですが、今日頼んで明後日ラフ!みたいなスピード感だときびしいですねさすがに...💦)、楽しくノリノリですんで、もっと描きたい仕事です。空間を作るのって、なんか天地創造的(急に規模がばかでかい比喩)で、園芸とかインテリア考えたりとかもそういう快楽がありますよね。絵の中でもやっぱりそういう部分があるんですよねー。わたしの理想のお家、とか、理想の街、とか、絵の中なら描き放題ですもんね。

 

ところで、現実の我が家は...まあ、狭くて、おしゃれでもないんですが今の家で十分満足ではありつつも、現状は理想の100倍ぐらい本やら資料やらCDやらよくわからないものやらに囲まれてるんで、絵に描いたらえらい画数ですね。というか描きたくない。もっとスッキリシンプルに片付いた空間に生きたいですね、と思ってまたシンプル生活術の本とか買ってさらにものを増やしたりして。こらっ。だって、こういう絵もそうですけど、「脳内シミュレーション」って楽しいんだもん。ほほほ。

ホームページをリニューアルしました

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↑画像をクリックするとホームページに行きます。

 

長いことするすると言いつつ捗ってなかったんですが、やっとホームページのリニューアルがおおむね完成しました!最新の仕事や作品を大幅に増やし、また過去の仕事でもちょっと今見ると新鮮と思ったものも加えたりしてみました。トップページのイラストは3パターンありまして、リロードするたびに絵が変わりますので、ぜひ三回以上リロードしてみてくださいませ。

 

今後はここももっと季節ごとにイラストを入れ替えたりきちんとする予定です。営業下手で、ほとんど営業的なことをできないダメ人間なのですが、せめてホームページぐらいはきちんと整えて常に活気ある状態にしておきたいなと思っています。ぜひぜひごらんください!

また、ここしばらく、この中から、仕事や作品をピックアップしてブログでもちょいちょい紹介していこうと思っています。

佃煮をお探しですか?

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と、amazonからメールが来たのです。いや、全然お探しでない。そもそもamazonは滅多に利用しないのです。が、よーく考えてみると、多分随分前に、海苔の佃煮が食べたくなって、調べた事があったような気がします。そんな昔の事を覚えていたのか、お前は。そして、その時に結局amazonでなく近所のスーパーで買った海苔の佃煮があったはず、と思い至り、食品庫的なゾーンを探したら、ありました。賞味期限、大丈夫かしら。と思い確認しましたら、今年の10月まで大丈夫でした、ほっ。しかし、完全に忘れていたので、いけないいけない。早く食べなければ。

 

最近は便利なサービスがいろいろあって、たくさんのリマインダーがメールやSNSに舞い込みます。ひとつひとつは小さなお知らせですが、積もり積もると生活の中の集中力というかが削られるというか、散漫になる気がしますね。常にセールのお知らせ、新商品の紹介、この人が投稿しました、以前寄付や署名したこの件に進捗がありました、などなど、確かに知ると便利な情報ではあるのですが、わたしの脳はあまり情報処理容量が大きくないので、メールチェックのたびにうっかりそこに誘導されたりして、はて、わたしはそれまで何をしてたのかしらん。となってしまう事が多いです。

 

その割には、本当に重要な事のリマインダーをうっかり見逃したりして、カレンダーに仕事の〆切りなどの予定を書いてるのですがいつもヒヤヒヤです。よくあるのが、「カレンダーに自分が間違った予定を書き込んでしまった、あるいは書き込まなかった」という事例で、いくらハイテクの現代でも、そんな基礎的なミスをするような場合はどーしよーもないですね。とほほ。

また、通知が多すぎて大事な仕事のメールが埋もれてしまったりするのも大問題です。なるべく余計なメルマガや宣伝が届かないように設定するんですが、そのサービスを解除するためにログインするためのパスワードが忘却の彼方だったりするものもあり、それこそ誰か、思い出させて!って感じです。

 

そして、たくさんの思い出さなければいけない事に囲まれてはいるんですが、本当にわたしが思い出したい事とはなんだろうか、とフト思ったりします。

 

先日夕方、遠くのスーパーまで散歩がてらに歩いて買い物に出かけたのですが、逢魔が刻のはかない時間、世界中が不思議なピンク色の夕焼けに包まれ徐々に蒼い夜に変わっていくのを、しばし立ち止まって眺めておりました。子供の頃は、こういう時間、暗くなるまで疲れを知らずに外で遊んでいたなあ。あるいは、仕事を終え、寝ようかという時間にもう朝日が上がってるのですが、窓を開けると、空気の匂いがなんというか、林間学校に行った朝の、期待と不安の入り混じった気分を急に思い出させてくれる事もあります。

 

本当に「思い出したい」ものって、新鮮な喜びや期待、胸ときめく好奇心なのではないか、と夕日にひとりごちる中年(というかもう中高年ってやつかも)です。そして、そうした気持ちをいつもふいにリマインドしてくれるのは、巡ってくる季節の機微だったりしますね。いい年しても人間ってやつは(主語がでかい。わたしは、ですね)夕日に胸焦がしたり、海岸で貝殻拾ったりしたいのです。もっと時を惜しんで、季節に身を浸したいものだなあ、という思いと、いや、大人なんだから仕事とか忘れてぼーっとしてはいかん、いつまで夏休みの子供気分なんだ、自分。という呵責の間でせめぎ合う夏の夕暮れです。

楽園を舗装しないためには?

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わたしはツイッターで、海外の気候学者とかジャーナリストとかをフォローしたり眺めたりしてるのですが、先日NASAの気候学者ピーター・カルマス氏が、このようなツイートをしてたのですね。

 

ご本人のコメントにもあるように、悲しいですよね。それに、ここのところ、地球上あちこちで高温、山火事、洪水などの悲しいニュースもよく聞きます。そして、ちらほら「それらは気候変動の影響」という見方も伝え聞きます。しっかし、どうしてこんなに気候変動が深刻になっちゃったのか。遡ればそれはもう、1980年代には科学者たちに危機を指摘されていたことなんですが、あらうっかり。わたしたちの社会は「危機だから対応しなきゃ」と掛け声を上げつつも、いろいろありまして現実にはCO2などグリーンハウスガス排出量は全然減るどころか、増える一方だったのですねー。そして、人類はCO2を人工的に回収する技術を大規模実用化していないという現状の中、しかし!有力なCO2回収技術はすでに地球上に存在するそうです。それってなに?

...なんのことはない、木が、森が、そして海が吸収してくれてるんですよ。あら、なんてありがたいの、自然。人間の不始末をフォローしてくれてるんですね。が。上の写真みたいに、その吸収源を、しかも何百年とか何万年単位で育んできた森林システムをあっちゅう間に換金し続けたら、お先真っ暗だろうなあ...と思います。

 

ジョニ・ミッチェルの歌に「Big yellow Taxi」というのがありまして、その歌はジョニがハワイに行った時に、すばらしい環境と自然があるのに、こんな楽園を舗装して、駐車場は作っちゃうわ、自然に生えてた木を引っこ抜いて博物館で展示してるわ、なんかそういうのって、当たり前になっちゃってるけど、おかしくない?というような感想を述べた歌なのですが、現在に至るまで化石燃料を掘るために膨大な環境破壊をしてますし、最近も急激にアマゾンや東南アジアで農業やバイオ燃料の需要でせっせとかつてない規模で熱帯雨林を減少させてますけど、他にも太陽光発電(それ自体は大事な再生エネルギー選択肢ですが)の為にこれまでは環境アセスメントもそこそこに炭素吸収源である森を切っちゃったりもあって、わたしたちの社会はちぐはぐな事をやっちゃってますね。

 

木を切って一度更地になってしまったところも、放っておけば、あるいは植林などすれば、木はまた生えてくるかもしれません。でも、そこに住んでた多様な生物はそこで一旦絶滅してしまえば二度と帰ってきませんし、単に木を植えるだけでは、微生物や菌やらから大型動植物まで、相互に複雑に絡み合って成立してきた生態系は戻ってこないそうです。最近の議論では、気候変動問題は排出ガスに対処するだけでなく、生態系保護も非常に重要だという話もあります。これ以上物事を悪くしないために、持続可能利用をする場所だけでなく、できれば「何もしないでそっとしておく」ほうがいい場所も地球上にはもっと必要なのですが、それがどんどん少なくなってるのですね。ゴリラの生息地も、サンゴ礁も、このまま人類の地球浪費と無策をほったらかしてたらあと30年でほぼなくなるって話です。

 

他人事みたいに言っちゃってますが、自分がやってる事もそれに大いに関係があるわけで、以前にバンクシーだったか、誰かが書いたこんな風刺画を見たんですが、残念、その風刺画を今発見できないんで、わたしの記憶による再現でお届けします(ですのでこのまんがはわたしのオリジナルではありません)。

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あーあーあー。そうだよね。これを見た時結構落ち込みました。わたしもこれ、やってるやってる。うちにある家具だって全部どっかの木を切ってきたものですし、わたしは仕事柄紙の消費が多い自覚があります。木だけでなく、あらゆるシーンでやってる自覚あります。とほほー。けれど、人間はまったく消費をしないで生きていく事はできませんし、必要な消費もあります。住む家や食べるもの、移動手段などは必要ですよね。電気を節約しよう!と言って灼熱の真夏にエアコンをつけなかったら命の危機です。

うーん、でも、どこか、無駄にしてる部分も多いかもしれませんね。何かもっとよりマシな代替の選択肢もあるかもしれません。

 

では、こういう問題を緩和するために、なんかしらわたしにもできる事はないかしら、と思って、わたしは電気会社を再生エネルギー100%の会社にしたり、菜食をしたり、フードロス削減のためコンポストをしたり、プラ包装をなるべくもらわないように気をつけたり、まあ、無駄な消費をなるべくしない努力をちびちびしていますが、一人一人ができる事は超微力で、「大事なのは個人努力でなく、システムチェンジだ。個人努力のほうに気をとられると本質を見失うのでよろしくない」と言う人もいます。確かに、こっちでちまちまミクロの努力をしても、蛇口を閉めなきゃどーにもならん。という事は往々にしてあります。わたしが紙をリサイクルに出したって、そのリサイクルはちゃんと機能してるの?とか、一方で「この森を切り開いて駐車場にします」とか行政が決めたら、ああ無力。でも、いえいえ、ああ無力、で終わらせちゃあいけないよね。じゃあシステムをどうやってひっくり返すかというと、「蛇口を閉める必要がある」と思う人が増えないと、政策なり消費動向なり予算投入なりが変わらないのではないかな?と。

そこで、人間誰しも身に覚えがあると思うんですが、自分が関心のある事には詳しくなるし、どこに問題があるのかもはっきり見えてくるもので、個人努力をするというのは、そういう「問題点が見えるようになるための入り口」だという効果が大きいのではないかと思います。やってる人のほうが、やっても報われなさがわかるわけで、どーにかするには社会を変えねばならん。と思ったりします。さっき「うちにある家具だって全部どっかの木を切ってきた」と書きましたが、なんらか減らそうと意識するとまず「それはどこに生えてた木でどういう経過を辿ってうちに来て、うちから先はどこにいってどーなるのか」を考えるようになります。また、スタジアムのロックコンサートを考えればわかると思うんですが、一人一人ファンが支持して集わないとあのぎゅう詰めの会場の興奮は生まれない。環境問題で言えば、個人努力に積極的な人はコレクティブアクションの大いなる応援団になるポテンシャルがあると思います。

また、個々の影響力という意味では、逆に海辺いっぱいのプラゴミも元はと言えば誰かが気軽にポイと捨てたり、あらうっかり風で飛ばされちゃったり、みたいなものが集合体になって浜辺を覆い尽くしてるわけですから、個人の影響力も侮れないっちゃ侮れないと思います。わたし達が直接アマゾンに行って木を切ってるわけじゃないですが、木を誰かに切らせているのは誰か、となると、まあ、わたし達にもまあまあ責任あるんじゃないかなあ、と、いう。(それに、個人消費が実際に大きな影響の一端であるというお話もあります。それはまたおいおいに)

 

しかしもちろん、忘れちゃいけないのが、そのように個人で努力する事が可能な状況もあれば、皆大変な人生を生きてるわけですから、貧しかったり健康でなかったり状況がままならず、そういう行動が取れない人や場合というのが必ずありますし、すでに多くを持っている人が持たざる者に負担を強いるのも不公平です。また、個人同士で「お前は努力が足りない!」とか責めたりするのも本末転倒というか非常にダメだと思います。(こういう話でありがちなのが、「お前はAという事に取り組んでるのに、Bに取り組まないとはなんたることだ、けしからん。」みたいな展開ですが、人間のリソースは有限かつ人間はうっかりしてるので、そういう事はまあ、起こっちゃいますよね。現にわたしも逆に環境負荷の高い行動もたくさんしてると思います。そこを克服する智恵もまたどなたかに借りたいなあと思いつつ。)しかし、個々がささやかでも何か実行可能な事を考えてみたり、知恵をシェアしあったりして社会を後押しし、全体のシステムを変えるきっかけを作れる部分もあるかなあとも思うし、「自分にもできる事があるのでは」という希望を持つのは「自分は無力だ」と思うよりは問題解決には大事ではないかとも思うんですよね。ピープルハブザパワー。個人の生活でもできる事をやりつつ、コレクティブアクションにつながるような「できる事」も探したいなあと思う今日この頃です。

 

追記:

書いてるうちになんだか壮大な話になってしまいましたが、なぜしがないイラストレーターが、こんな壮大な話をしてるのかというと、まあ、地球に住まわせてもらってるから、気になるんですよね。だって、木々や動物や虫たちがいなくなったら悲しいし、自分たちが住めなくなったら困るし。

https://twitter.com/ClimateHuman/status/1414052039101878274?s=20

赤にこんがらかって

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以前にも紹介したんで覚えてる方もいるかと思いますが、ベント・ファン・ルーイさんという方がわたしは好きなんですが、このビデオ↓が特に好きでよく見ます。好きな物は何度も咀嚼するタイプですみません、お付き合いください。

 

youtu.be

画面の中にところどころ散りばめられた赤の使い方がとてもおしゃれで、見てるとなんだか絵心をインスパイアされるんですよね。見てると次々絵のアイデアが出てきます(↑上の絵はややそのまんまシーンを切り取りましたが、そういう直接的な刺激だけでなく、何か発想のきっかけになることが多いのです)。ビデオ自体も、様々な映像作品やカルチャーのオマージュになってるようで、どれがなにの、と指摘できるほどわたしは事情通ではないんですが、何度見ても楽しめます。

 

赤と言えば、先日小津安二郎の「浮草」を見ていて、この映画(や、他の小津のカラー映画もですが)やはり赤の使い方がいいですね。と、散々言い尽くされたことをわたしなんぞが言うのもなんですが、本当にいいものはいいのだからしゃーない。

 

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まあわたしは映画通とかでもないので、アグファカラーがどーのこーの、みたいな話はしませんが、京マチ子の燃えるような怒りも、ケロっと柔和になるさまも、赤と浴衣の大胆でシンプルな柄が引き立てていますね。小津映画は、家父長制ど真ん中みたいな話が多いですが、そうした現状の有り様を定点観測的に映しながら、最後はさっぱりとその世界が終焉していくんですよね。家族や一座や旧価値観は解散し、新しい世界に移っていくあっけない潔さと少しはかない寂寥を淡々と描いていて好きです。小津映画に添える赤にはそのすがすがしいモダンさがよく表れている気がします(って、書いてるうちになんか通ぶってきてしまいました、はずかし)

 

映画の中の赤と言えば、ゴダールとかフェリーニなどなど昔の映画(漠)には赤がおしゃれに使われててまぶしいものが多かったですね。わたしはおしゃれ通でもないんでお前がおしゃれを語るなって感じなんですが、映画の中のシーンのちょっとした服装などをおしゃれの参考にすることは多いです。ファッション誌を見ても、なんだか自分と縁遠い気がする事が多いというか、「いやいや別にこれわたしには似合わんよね」みたいな冷静な判断力の方が勝つのに、映画の中ですてきな赤いマフラーとか見ると、自分に似合うかとかより「ああ、わたしもあんなのしたいな、こんな風にチェックのズボンに合わせて秋の並木道を歩いたらすてきな気分であろう、うん」みたいな事を思っちゃうんですね。なんでしょ、映画の中は魅力的すぎて幻惑されちゃうんでしょうかね。

 

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絵で赤を使う時は、結構他の色と合わせるのに苦労する、というか、もうなんか、赤と黒だけでいいような気がしてしまう事が多いです。もちろん、青、黄色など同じような明るい色と組み合わせるのもポップでいいし、そういうのも好きなんですが、黒と赤を使っちゃうと、他にはもうなにもいらないかな、と思ってそこで筆を止めたくなりますね。

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ところで、今日のブログのタイトルはボブ・ディランの「ブルーにこんがらかって」のもじりなんですが、この曲、タイトルに「ブルー」と入ってるんですが、曲の冒頭は主人公が赤い髪の女性の思い出を語るところからはじまります。

聞き手は燃えるような赤い髪のイメージから主人公の世界に共に入り、映画の回想ショットのように綴られる断片的な彼の様々な場所と時間のエピソードを体験します。靴を流れる雨筋、暗くフェイドアウトする通り、青空を切り裂いて飛ぶ鳥、横顔を照らすスポットライト、主人公の顔に刻まれたシワの線、解けた靴ひも、など、糸を手繰るようにイメージを喚起する言葉が散りばめられていきます。そして、やがて、彼の青い混沌の中に閉じ込められた流浪の人生を運命付けたのは、ある一冊の詩集により焚き付けられた炎だったというのが明かされていく、という感じで、赤が詩の裏テーマになってるのですね(とわたしは思います、ボブおじさん通でもないんですが)。激しい赤と、透明で寂しい青の孤独のコントラスト、色の構図を目でなく耳で味わえるという趣の歌で、さすがボブおじさん、冴えてるう。一方、冴えてないわたしは今回赤を手掛かりに文章を綴ってましたが、なんていうか、ちょっととりとめのないお話になってしまいましたね。こんがらがっておる。ではでは。

 

 

 

 

 

ブログ引っ越しと旧ブログの「仕事紹介」記事へのリンク

ブログをブロガーからはてな(ここ)に引っ越してきました。

とはいっても、前のブログの記事は残したまま(こっちに全部引っ越してくるのが面倒でした)なんで、向こうも普通に見られます。これからの新規の更新はこちらでやる感じです。今年分まではこっちにも転載しときました。

サイドバーに旧ブログへのリンクもあります。

 

そんでもって、過去の仕事実績紹介の記事だけ特に参照する場合のため、旧ブログの仕事タグへのリンクもつけておきますね↓。

saoriotsuka.blogspot.com

ブロガーにブログを引っ越したのが2007年だったので、2007年〜2021年分、自分で見返してみたんですが、わたし超いっぱい仕事してますね。ここに紹介しそびれてたのもいろいろあったんで、人生通算書籍装画はもう400冊はゆうに超えてるんじゃないかなと思います(...数えてないんですが、仕事生活24年目なので、月平均3冊手がけてたとすると、えーと、ま、もっとありそう)。どの仕事も手を抜かず一生懸命やっておりますが、一時期とか、忙しくてアップアップでした。最近は一時期よりはもう少しのんびりしてます。もっと忙しくしててもよい(というか、まだまだバリバリ忙しくしてたいですよ!)し、アイデアは湧き出る一方なんで、これからもビバ!お仕事ですー。HPのリニューアルが終わったら、今までの仕事からも温故知新でこちらでもっと紹介してみようと思います。

じゃがいもが微増した話

 

 
 
台所の野菜カゴの中で、芽が出たじゃがいもが転がっていたのを発見する事、まあまあありますよね。大抵は芽を取りのぞいて食べますが、前回それを見つけたのは3月の初めでありました。3月の初めといえば、じゃがいもを植えるちょうどよい季節。よく栽培指南には「食用のじゃがいもは病気があったりするので種芋に使わないように」とのお達しがありますが、ベランダで一鉢で育てるなら、周囲に病気が広がったりするわけでなし(※)、育ててみちゃおうかなー。こんなに勢いよく芽吹いちゃってるしなー。少し暖かくなって園芸熱も温まるこの時期、考えたらオラ、ワクワクしてきたぞ(使い古された言い回し)。というわけで、植えてみました。

 

しかし前にも書いたように、うちのベランダは日当たり好条件の一等地が少なく、しかもその時空いてる鉢にちょうどいいのがなくて、ちょっと小さめの8号鉢だったので、うーん、どうかなあ...。と思いつつ植えたのです。

じゃがいもを植える時は土があまりアルカリに傾くと、そうか病という芋の皮の表面ががさがさになる病気がでます。なので、石灰は撒かず、使い回しの土にコンポスト腐葉土、油粕、少し草木灰など入れて植えました。前に畑で育てた時は少しそうか病出たんですが、味は全然変わらないので、商品にするとかでなく自家消費する分には気にしなくていいんではないかなと思いますけど。畑ではじゃがいもはごろんごろん大収穫でホックホクでした。ああ、楽しかったなあ...畑。

さて、しばらくすると、案外しっかりした芽がぐいぐい伸びてきました。おっ、これは幸先良さそう。 

 

 

 

 けれども、悲しいかな、いい感じの場所を用意してあげられず、こういう感じで配置しておりました。

 

 
 育つにつれて日照を求めてアクロバティックムーブになってきており、風も激しいんで、大丈夫なのか。すまんね、いいところがなくて💦

 


 育ってくると芽かきをして、茎を2本ぐらいにするのがよいのですが、ここの超強風環境で、茎を少なくしてからもし風で折れてしまったら全滅の可能性もあるので、ここは3本残しておきました。人生リスクヘッジ

 

5月になり、花が咲きました。じゃがいもの花といえば紫色のかわいい花なんですが、この苗の花は小さくて白い花でした。えーと、品種、なんだったっけ...覚えてないけど、つまり男爵やキタアカリではなかったのだな。花をつけたままにしておくと芋が太らないので摘みました。(すぐ摘み取っちゃったんで写真はありません)

じゃがいもの芋は種芋より上のゾーンにつくんですね。 なので、表面に芋が出てきてしまうと、日に当たってソラニンが形成されてしまうんで、土増しをします。できてるのかしら、芋...と思って土の表面を軽く掘ったら、塊に触れました。あっ、いる!芋、いる。ニヤリとほくそ笑んで、あわてて土をかぶせておきました。

 

6月、そろそろいいのでは...。雨続きになるとの予報の前に、ちょっと早いですが掘り上げてみました。 

 


 

 

おっ、いっぱいありそう!

と、思ったんですが、残念、ここに見えてるのがめぼしいやつ全部だったんですねー。

というわけで、結果、これだけ収穫できました。

 

 食べれるサイズは3つ。1個は結構大きかったです。まあ、鉢も小さいし、悪条件だったんでこれだけ採れれば良しとしましょう。

 

小さいのはソラニンが多いらしいので、食べるのはよしておきました。また埋めて種芋にできるのかしらん?まあ、育たなくてもコンポストしとくかな。

 

そして、何にして食べようかしら。今一番食べたいもの、そうねえ...。コロッケ!

大豆ミートと玉ねぎみじん切りを炒めて、レンジで蒸した芋(ちなみに、ガスで茹でるよりレンジで蒸した方が環境負荷低いらしいです。うちは電力会社が再エネ100%なので余計そうですね。まあ、他でいろいろ環境負荷かけてるんで焼け石に水感はありますけど💦)と合わせて水溶き小麦粉(卵なしでもこれでいけます)とパン粉をくぐらせコメ油でフライパンで揚げ焼きにしました。ついでにズッキーニも揚げた。アゲアゲ。

 


 

 

ああ、揚げ物ってなんでこんなにおいしいのかしらね。罪なやつよのう。

ところで、ここにあるこれ、なんだと思います?

 

 
よく揚げ物するときに、パン粉とか溶き粉とか微妙に余って「なんかもったいないな...」となるので、わたしはそれらを一緒にしてハーブとか塩とかで味付けして、少しベーキングパウダーを入れて団子状にまるめて揚げてしまいます。ベーキングパウダーを入れるとふんわり仕上がりますが、入れないとカチカチな感じになってうまくないです。このよく分からない謎の揚げもん、まあ、すっごいおいしい、とかでもないんですが普通においしく食べられるので「アンチフードロス食」としてはまあいいんじゃないでしょうか。

 

というわけで、二人でこの量食べちゃいました。我ながらよく食べるね、うん。ああうまかった。育てるのは4ヶ月近く、食べちゃうのは一瞬。あっけないものですねえ。とはいっても、基本は水やりだけしてほったらかしてれば、勝手に育ってくれたんだから、ありがたいもんです。本当芋ちゃん、えらい!あれ?芋の品種、結局分からずじまいだったな...。

 

 

市民農園や畑など共同で土地を使ってる場所では病気を広げる可能性があるので、やはり食用芋を種芋にしないほうがいいですね。

ミネルバのふくろうは楽しい方に飛ぶ

 


 

また今夜もやつが涙を目にいっぱいためてわたしが恋しいとメールしてくるのである。ごめんよ...今日もやる時間なかったぜ。というわけで何の話かというとDuolingoです。Duolingoはネットやアプリで無料で利用できる語学学習アプリで、しばらくやらないと催促のメールが来るのです。

 わたしはフランス語を10年ぐらい習っていたのですが、コロナ禍で通学が難しくなってしまい去年止めてしまいました。人間の脳というのは一体どうなっておるのか、学ぶ時にはあれだけ時間をかけたのに、消え去るのはあっという間。あーもうなんだっけ、活用とか、綴りとか、瞬く間に露と消えてしまったので、こりゃいかん、と時々Duolingoで復習しています。それと、オランダ語に興味があるので、そちらも時々。

 

Duoは初学者向けなんで超簡単な所から入りますし、低レベルの所での繰り返しも多かったり、それをスキップしようとテストをやると、Duo例文に沿った回答でないとバツにされたりするんでなんか結局簡単な所をぐるぐるやる羽目になってしまったり、などもあるんですが、ちょこっと勉強するのにはよいです。フランス語の復習には全然物足りないけど、全然知らないオランダ語の勉強にはちょっといいかも。なにせ、まったく読めない暗号みたいなものが、なんとなく続けてるうちに一応意味をなした文として解読できるようになる、というのはちょっと楽しいものです。そして、Duoの一番いい所は、大した事もしてないのにやたらとほめてくれる所です。勉強って、怒られたりけなされたりしながらやると楽しくないですよね。

 

わたしがフランス語を始めたのはそもそも、一日中仕事机にへばりついてるだけの毎日にちょっと疲弊してたので気分転換の時間を作りたかったのが動機でしたが、それでフランス語を習得できたのかというと、結果からいうと、別に仕事で使えるとかそういう風には全然ならず趣味レベルでしたので世間的に言えばやってる意味は全くなかったとも言えます。が、「勉強における恥をとっぱらう」という経験ができたので、わたしにとっては非常に楽しく身になりました。この、「恥」っていうのが人生のネックだと思うんですよね。

英語って、たいていの人は義務教育期間で6年〜ぐらい勉強してるはずなのに英語を発語する事が恥ずかしくないですか。わたしは長らく恥ずかしかったです。だって、間違ってたりしたら、恥ずかしいもーん。しかし、フランス語教室に入ったら、クラスメートも全員デヴュタン、初心者。「できなくて当たり前」であり「話せるようになりたい気まんまん」であり、つまりは人生で初めて、お互い恥ずかしいとか考えずに外国語を気軽に話せる場だったのです。また、先生も決して人の発音や間違いをばかにしたりせず、怒ったりさげすんだりもせず、淡々と必要な事を必要なタイミングで教えてくれ、要所要所褒めたり補足してくれたりと非常に優秀な先生たちでした。発語するのが怖くない。これってすごく大きなパラダイムシフトで、おかげでフランス語だけでなく英語を話すのも(下手くそさは変わってませんが)ハードルがかなり下がったと思います。というか、語学に限らず、「自意識を棚に上げて興味や目的に集中するといろんな事がラクで楽しくなる」みたいな気づきがありましたし、副次的効果で、かなり人見知りな方だったんですがそれも少し軽減した気がします。

学校教育の初学って、それと真逆な面が往々にしてあって、体育とか、図画とかでも、興味を持ったり楽しんだりする前に「人と比べてお前は劣っている」みたいな事を白日の元に晒すような体験の方が学習そのものよりも多く積み重なっちゃってませんか。でも、考えてみると、その道のプロになるとかでない場合、学習って「物事を理解会得する事で自分の人生をより便利にしたり、豊かにする」のが目的なわけで、「必要なものを必要なだけ」学ぶなら、人と過度に比べたり競争したり劣等感を持ったりなんて、それこそ必要ないのでは。と思うのです。

わたしは絵を描く仕事なんで、よく人から「絵が描けていいですねー、わたしなんか本当に下手で、絵心なくて」と言うような話を聞きます。で、そういう人が絵を描いてみると、別に全然下手じゃなくて、わたしなんかよりむしろ新鮮で味があるいい絵を描いたりしておりびっくりする事があるんですが、そうなると

「誰じゃこの人に余計な劣等感植え付けたのは」

って気分になる事が多いです。実際、学習上で「先生に怒られた」「皆に笑われた」的な経験を持つ人の話も多々聞きます。基礎教育ぐらいのまだ「お試しパック詰め合わせ」的な勉強段階でその人の心に傷をつけ、必要なスキルでなく一生もののコンプレックスや自意識の壁を教育してしまうのだとしたら不幸な事ですよね。...ええ、わたしの場合、体育なんて大っ嫌いですとも、今でも。ぐすん。

しかし実際、今これを書きながら「こんな低レベルな話を語学ペラペラな人に読まれたら恥ずかしいな」みたいな自意識とやや戦ってるので、学習における「恥」の呪縛はなかなか強いとひしひし感じます。「ネイティブはそんな事言わない」とか、デキる人(?あるいは教材ビジネス?)からのダメ出し言説も世に溢れていて、脅してくる圧が高いですしね。まあここで「勉強サクセス術」なんてものを期待して読んでる人は皆無だと思うのでそんな圧を感じる必要はまったくないはずなんですが、それでもちょっとそんな風に思ってしまう、これこそ呪いの深さよ。おお怖。 

というわけで、たいていの人は初学段階では「ほめられた方が伸びる」というか、苦手意識をいかに植え付けないかが幸福の鍵なんじゃないでしょうか。キビシイ鍛錬とか、そういうのは学習意欲が十分育ってからの話なんじゃないかなというか、なんにつけ、そもそも学びを深めれば自分のクオリティに一番厳しくなるのは自分なんじゃないかなとも思いますし、深い習熟の道に入った後には挫折や苦しみはありますけど、アペリティフぐらいの勉強ならば、ちょこっとマイルドでテイスティな方が手を伸ばしやすいですよね。

 

まあ、でもDuoみたいに甘やかしだけだと、ついつい忙しさにかまけてちっとも勉強しないんですがね。だらだら生きてるくせに、いつも時間がないのであった。Pourquoi?

花香さんのショップカードのお仕事

フラワーアレンジメントショップHANAKA(花香)さんでもう大分前にショップロゴを作るお仕事をしたのですが、このたびショップカードなどをリニューアルするとの事で、またご注文いただきました。ドライフラワーはシンプルなので、添えるものも雰囲気を合わせてあっさりとした線画の軽いタッチのイラストをあしらってデザインしてみました。

名刺大のショップカードと、ハガキサイズでご購入者さんへのサンキューカード的なものも作りました。こちらはドライフラワーのピースをちょこっとあしらったり、デザイナーのkaoriさんが一言メッセージを入れたり出来るように空間を大きめに作りました。

 


 

お日様の香りがする、シックで大人かわいいドライフラワーを手がけているHANAKAさんのはこちらです。

HANAKA 公式HP

HANAKA kaori_hanaka Instagram

オンラインの他にもアトリエもあり、ワークショップなども開催されています(ご興味ある方は詳細はコロナ情勢なので開催時期などはお店にご確認いただけましたらと思います)

 

普段人物を描く機会が多いのですが、こういう仕事も楽しいですね!わたしは、自分ではそんなに意識して画風を描き分けてるつもりはなくて、まずはひたすら万年筆ですらーと描きたい線を描いていて、仕事の内容に合わせて最適かなと思うアレンジでアウトプットしてるので、全然ジャンルの違う仕事をいろいろしてたりします。基本の線画の画風はそれほど変わらなくとも、構図や色数、描く対象、指示の状況や説明的なイラストかイメージ中心のイラストか、など、アレンジで絵は変わってきますよね。

HANAKAさんが様々な素材を使っても、常にHANAKAらしいセンスですてきなアレンジメントを作るように、わたしも様々な要素や条件を取り入れつつも最終的に一貫した自分らしい良さを出せる作品を作り続けて、科学書からおしゃれ、文芸、実用ナドナド、縦横無尽に万年筆を走らせたいなあと思います。ご依頼の際には、どういう仕上がりの感じがご希望かHPにある絵などでお気軽にお知らせくださいませ。