信濃毎日新聞でClimate Integrate.org代表の平田仁子さんが連載している「思索のノート 脱炭素の先に」の第2回5月12日の日曜に掲載され、イラストを描きました。
↓こちら(画像クリック)でWEB版も掲載されています(会員記事ですが登録すれば無料会員も読めます)
今回は、平田さんがどうして気候変動問題と関わるようになったか、キャリアの変遷と、また、関わり始めてから分かった、企業や政府やマスコミや利害関係者からのミスインフォメーションや人々の関心の低さなどなど、いろんなものが絡み合って気候変動問題が矮小化されているという構造の障壁についてのお話です。イラストのタイトルは「 Who's igniting?(誰が点火してるの?)」です。それぞれのBranch(枝/部門)に問題があるというような寓意を少し込めてみました。平田さんの記事、非常に興味深いので、ぜひお読みください。アーカイブとしてこちらでも前回分を読むことができます!
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さて、そして気候変動の問題は今でもまだテレビや新聞の一面をばーんと飾るわけではないですが、注意 深く見ていると、やばいニュースがどんどん更新されてますね。例えばこれ。
↑これ、グラフ見ただけでひゃー、やばいなと思います。というか、これを今から右肩下がり横ばいにしなきゃいけないわけで...。(あわてて書いたんで端折りすぎました、気温上昇傾向を下げるのはもう無理だと思います、温暖化ガスの排出量を右肩下がりにしなきゃいけないのでした)どーすんの!
やばいニュースその2
www.bbc.comこれのやばいところは、サンゴがもう温度上昇に耐えきれず白化(から枯死へ)しているというのもありますが、
「気候変動に関しては何十年もの間、世界中の海洋が地球の「免罪符」となってきた。
海が人類が排出する二酸化炭素の約4分の1を吸収するだけでなく、余分な熱の約90%をも吸収するからだ。
しかしこの1年、とりわけ海面水温が高くなったことで世界の海洋が大規模な吸収量を維持するのが難しくなっていることが、かつてないほど深刻なデータで示された。」
でして、こうなってくると気温上昇がさらに加速してしまうんですよね。どーすんの、ほんと。
やばいニュースその3は極め付けです。
英語の記事ですが、ガーディアンから。
これはですね、世界の主要な気候科学者(気候変動に関する政府間パネル IPCCの科学者)数百人にサーベイを行ったところ、回答者の80%が今世紀には地球の気温が産業革命前の水準より少なくとも2.5度(4.5度)上昇して、国際的に合意された1.5℃目標を大幅に超え「人類と地球に壊滅的な結果を引き起こす」と予想しているという結果になっちゃったんですね。がーん。
えーと、じゃなぜ1.5℃を超えたらダメなの?というと、このへん↓の記事にざっと載ってるんですが、
www.greenpeace.orgとにかく、1.5℃はひとつの大きな閾値で、それを超えると人間もですが野生生物や生態系に取り返しのつかない影響が起こることは確かです。サンゴ礁絶滅、シロクマも絶滅、他の名前も知らない動植物昆虫の絶滅も多々、作物も不作とか干魃、人間が居住できなくなる地域も増え、災害甚大化、などなど、言ってて気が滅入ることが起こって、影響が不可逆になっていくらしいんですね。
しかし、人間、あまりに巨大な問題は考えるキャパがなくなるというか、例えばスーパーでちまちま安売りの品をチェックしたりするのに家やら車を買うとかなったら10万円単位のオプションとかもうわけわかんなくなって「ま、いっか」って付けちゃったりしないですか?というわけで、わたし含めみんな問題の深刻さに比べて「これやばいね」認識も追いついてないし対策も全然進んでないし、こういうニュースを見たら見たで「あーもうあかん、もー何やってもダメだー、じゃもうやらない」みたいな心境になりがちです。
が、科学者の人たちが言ってるのは「もうダメだー」ってサジ投げ状態とはちょっとニュアンスが違くて、
「長年研究して現実に起こることの過酷さを知ってるからこそまじ絶望してうつ病になったりするぐらい悩んでるし本当未来怖いんだけど、なにがなにってずーっとそれを言い続けてたのに、各国政府が全然対策してないことに超怒ってるんだよ!」(超要約)
ということなんです。まだできる対策いろいろあるのに、わたしたちの社会は現在進行形でチャンスをドブに捨てようとしてるんですね。
気候変動に対する対策としてよく語られるのは「適応と緩和」という考えで、「適応」は起こってしまった状態になんとか適応する対策を、ということですが「緩和」というのは、とにかくこれ以上気温が上昇しないように対策を取る、ということです。が、最近のニュースなんか見てると、早くも「緩和」はすっとばして「適応」のほうを考えようじゃないか...みたいなムードも感じなくもないんですが、それでも、他の記事などでも粘り強い科学者の人たちが言ってるのは、
「1.5℃がダメでも次に目指さなきゃいけないのは1.6℃、それが無理でも可能な限り低く抑える努力をするべき」
まだ緩和を諦めちゃダメ!ということなんですね。
そんで、平田さんの記事の話に戻りますが、平田さんが指摘する「構造の壁」のひとつに、こうした問題の「共有できなさ」というのもあると思います。「気候変動が大変だ」的なニュースはちらほら見るようになりましたが、具体的になにがどうやばいのか、わたしたちは何をしたらいいのかというニュースやもろもろ詳細なデータはまだまだ関心がある人が積極的に取りに行かないとわかりにくいですもんね。
とにかく、次の選挙で気候変動について真剣に考える政治家に投票しないとラチがあかないことは確かなようですし、わたしたちもそうしたちゃんとした政治家を選んで政策や社会インフラを変えて、ある程度今の生活スタイルとは様相が変わるぐらいの対策に賛成しないといけないんじゃないかと思います。
そういうのって抵抗もあるかもしれないんですが、なんだったら2.0℃とか3.0℃とかの世界になっちゃったら「問答無用でかなりいやーな形で生活が大幅に変えられてしまう」という状態が起こるわけですから、だったら今、「ある意味今より進化して便利になったりもするし、あるいは不要な無駄を省いて最適化したりするし、自然と人間とのよりよい関係を見直した結果として人間がちょっと譲歩する部分もあり」という意味での「対策による変化」は受け入れる必要があるんじゃないでしょうか。