saoriotsuka-diary

イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

月の光を浴びる場所

先日、ナショナルジオグラフィックの記事で、カメが夜に日向ぼっこのように甲羅干ししているのでは、という記事を読みました。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

実は今までもカメたちはふつうに夜そのように行動してたらしいんですが、人間がそのことに注目してなかったようです。理由としては、記事によると体温調節などが関係ありそうです。が、これはわたしの感想なんですが、カメたちも「なんかさー、月明かり浴びて水辺でぼんやりしてるのって、チルじゃね?てか、月光浴ってロマンチックね」みたいな、ただ心地よいからしている、というような感覚もあるのではないかなー。

わたしたち人間は、朝日や月や、海や山とか、壮大な風景を眺めたりそこにいたり、爽やかな風を感じたりするの、好きじゃないですか(いや、どうかな、好きじゃない人もいるかもしれないんですが。少なくともわたしは好きです)。ただそこにいるのが心地よい、という感覚です。わたしはよく公園に行くんですが、公園で見かける鳥とかも、天気のいい日はなんだか楽しそうに寛いでいるように見えるし、猫も窓辺で日向ぼっこしてる時は楽しそうです。まあ、科学的に言うと、日光浴によりビタミンDを生成とかセロトニンがとかあるのでしょうが、「楽しい」という感覚も、他の動物だってあるんじゃないかなと。

ともあれ、夜になると世界のカメたちが月の光で整ってると想像すると、夜の楽しさもまた増すってものよ。

 

ところで、カメといえば、子供の頃「浦島太郎」の話がなんとなく納得いきませんでした。カメを助けて竜宮城でカメやひらめや乙姫たちと楽しく過ごして、ってところまではいいんですが、なんでカメ達はお土産に嫌がらせのような玉手箱を持たせたのか。そもそも「開けてはならない」なんてもの、くれないでほしいです。絶対開けたくなるよね、ふつう。

wikipediaによると(それかい)この後半の「約束を破ったものに災いあれー」というか「酒飲んで浮かれて楽しくやってたら後が怖い」みたいな道徳呪詛的展開は後付けで足されてきたみたいですね、経緯はよくわかりませんが。

 

でも、浦島太郎の立場になってみると、楽しく過ごしてた間に自分が元いた場所では時間が経過し、家族や知人はすでに世を去り、価値観も変化してしまった見慣れぬ故郷が突然出現してしまったわけで、そこで途方にくれた時、「過ぎた年月」を返してくれた玉手箱はある意味親切なのかもしれません。と、最近、いろいろテクノロジーや価値観の変化に戸惑うわたしとしてはちょっとおセンチに考えてしまったりもします。ホラ、AIで三秒で素敵イラストとか描かれたりした日にゃ、なんかもう商売あがったりだなというか、自分が一気に老け込んだような気がしちゃったりしなくもない世の中だよなあと。

が、人によっては、「いや?変わってしまった世界でもなんとかわたしは生きていこうじゃないか、アイウィルサヴァイヴ!チャンスをくれよ!」という意気込みの人もいるだろうし、そうなるとやっぱり玉手箱は余計なお世話かもしれませんね。

 

しかし、浦島太郎の話の冒頭の「カメがいじめられているのをみたら、良くないこと、かわいそうなことと思い、助けに入る」というような価値観は、悠久の時が流れたとしても普遍であってほしいな、とも思うんですが、案外あっという間にそういう価値観もパラダイムシフトの危機というか、最近は外来種問題などで、「駆除やむなし」という風潮からなんだったらザリガニとかアカミミガメとか子供に駆除体験までさせるという話も聞き、なんだかやるせないです。

わたしがそこにいる子供だったら、「やめてカメをいじめないで」とか止めに入って顰蹙を買うやもしれません。ああ、現代社会の価値観にわしゃもうすでについていけない、やっぱり玉手箱ください。てな気分になってきます。

 

確かに侵略的外来種は在来環境を脅かし、わたしたちがすぐには見て分からないかもしれないけど複雑に絡み合う生態系の営みを壊し、他の在来生物などの命が失われたり、多大な負の影響を及ぼす、というようなこともあるので、環境問題的な解としては「そこにいてはいけない」のだろうと思います。それは分かる。分かるんだけど「そこにいてはいけない=デストロイ」というのを、なんのためらいもなく是としていいのかなあ、という倫理的モヤモヤは残ります。や、でも、「じゃあ外来種は別のところに移してそこで保護してその代までは終生飼養して環境から除去していきましょう」とか、本当はしてくれたらいいんだけどなと思いますが、環境中に拡散されてしまった外来生物の数を考えるとそんな予算もマンパワーもないというのが現状だと言われたら、確かにわたしだってそんなお金持ってないですし、しゅん。ああ、無限の大富豪だったらどうにかしたいものです(他にも無限の大富豪だったら、世界の飢餓問題とか、いろいろやれることあるのに。ちっぽけな宇宙の藻屑である我にしゅんとするばかりです)。

 

ともあれ、せめてこれ以上かわいそうな外来生物を増やさないためには、中西悟堂じゃありませんけど「野の鳥は野に」、もうめずらしい生き物とか世界中から日本に無理やり連れてきて飼ったりするのはやめて、そのめずらしい生き物の本来の生息場所の保護とかを応援したいものだよなあ。と思います。もちろん、今すでに飼ってる生き物は一生大事に世話しようね!逃しちゃだめだよ!

 

きっと日本中のアカミミガメちゃんたちも、夜な夜な月の明かりを浴び、見知らぬ遠い故郷の見知らぬ記憶をたぐりながら、懐かしい今の「故郷」であるここで心地よくまどろんでいるのかもしれません。

 

ではでは。