↑この絵は先日、「婦人公論」さんの一人旅特集のために描いたイラストです。いいですねえ、一人旅。出会うねえ、アオサギちゃん。
ゴールデンウィーク、みなさま行楽など楽しんでますでしょうか。
わたしは出かけもせず仕事雑事片付けなどの日常を送っております。この仕事をしてると、あまり世間の暦に併せて休みを取れず(というか、いつもだらだら仕事と休みの境界のない日々というか、休みを満喫できない体質というか)、加えて臆病な猫ちゃんがおりますんでホテルに預けて出かけたりもできませんで、旅行とはトント縁がなく、せいぜい日帰りで近場の鎌倉とかで遊ぶのが限界値、普段は近所をちんたら散歩するのが楽しみです。
と、自分の人生のスケールの小ささを露呈しましたが、そうは言っても実際のところ別にそんなに寂しくもないです。というのは、近所で雀とかツバメとか雑草とか観察しながら散歩してるだけでもまあまあ楽しい、「楽しさ閾値」が非常に低い人間なので、近所でも満足、たまに知らない町を訪れればどこでもちょっとした旅になりますし楽しいです。
散歩といえば、季節はずれになってしまいましたが、うちの近所の桜の話を。(桜の話って、季節がすぎるとものすごく季節外れ感が強いですが...)
うちの近所の座間市には、桜並木の緑道がありまして、名前を「相模が丘仲よし小道~さくら百華の道」というのですが、この桜並木、早咲き遅咲き秋咲き冬咲きなど、全長1.6キロメートルの道になんと64品種の桜が全部で220本植えられているのです。ですので、ソメイヨシノが咲く束の間だけでなく、どの季節に歩いてもなんかしらの桜や花木が咲いてたり、あるいは他の低木花木などがあったりで、歩いてて和む道です。
実はこの道、昔は用水路沿いにソメイヨシノだけを植えた農業小道だったらしく、その後緑道整備されたのですが、ソメイヨシノは寿命が短く、木が老朽化してしまい、わたしが知ってる昔の道は立派なサルノコシカケがくっついた(つまり中がすかすか、いつ倒れてもおかしくない)巨木の並木通りでした。
で、安全性などもろもろ理由で(ってこの辺座間市民じゃないので知らないんですが)残念ながら切ることになってしまったのですね。わたしも切るという話を聞いた時は
「なんてもったいない、なんとか残せないのかなあ...」
と思ったのですが、台風などで倒木もあり、周辺住民の安全なども考えると避けられないことだったらしいです。
が、ここからがすばらしい。市民のみなさんが緑道の存続を強く望んで働きかけてくれたため、新しく桜を植えて、市民の憩いの美しい道は維持されたのですねー。
その再整備が終わったのが2015年、初めの頃は、頼りないひょろひょろと細い若木を見て、昔の立派なソメイヨシノを偲んで寂しく感じたり、「本当に育つのかなあ...」とか思ってたんですが、なんのなんの。たった10年足らずで、桜たちは立派に大きくなって、とてもコージーでいい感じの道が出来つつあります。
今年の桜たち。
まだ寒い2月から3月には寒緋桜や河津桜。
撮ったの夕暮れトワイライトなんでちょっと写真暗くてすみませんが。
↓ぼけぼけですがメジロちゃん。
↓ひよちゃんも。
そして4月になれば...
八重に一重に、可憐に、ド派手に、はかなく、大胆に、白いのも桃色も、それぞれがこの世の春を謳歌して、まさに「喜びが爆発した小道」の様相を呈した、えらいことになってます。道ゆくひとみんな笑顔。犬も笑顔。鳥たちは食事で忙し。ほほほ。ふふふ。そうだよねえ。
さて、再び整備された桜並木は様々な品種が植わっているので、八重桜など寿命の長い桜も多く、また市民の方々が清掃やメンテナンスを折ごとに行ってくれているので、寿命になった桜もきっと更新を働きかけてくれるだろうし、この美しさが年を重ねるごとにますます賑やかになって保たれていくのではないかと思います。すてきですね、座間市民のみなさま!座間という名前は、ひとつの不幸な事件のせいで知らない方には暗いイメージがついてしまったかもしれないのですが、このような美しい小道のある、谷戸と水を湛えたのどかな町です。
わたしはお隣、相模原市民ですが、GW中も青々とした若葉がまぶしいこの道を通ってイオンに買い物に行ってます(道の終点がイオンに出るんですね、ははは)。
ジョージ・オーウェルが短いエッセイ「ブレイの牧師のための弁明」で
「木、なかでも寿命のながい固い木を植えるというのは、金も手間もほとんどかからない子孫への贈り物になるのであって、もしもその木が根づけば、善悪を問わないどんな行為よりも、ずっとながいあいだ目に見える形でのこるのだ」※ 1
と言っていますが、まあ現代社会、市街地などでは木を植えたり、ましてやそれを保つには「金も手間もかからない」というわけではないですが、木を植えたい、保ちたい、ということを願う人々の見返りのない善意の贈り物で町の景観というのは作られているのだなあと思いますし、さらにこの桜たちの旺盛な育ちぶりを見ると、人の手を遥かに超えて植物たちが世界に美しさを贈り続けているというのも実感し、「世の中も捨てたもんではないな」と思えますね。
いっぽうで、昨今、あちこちで「周辺住民が大事にしてた木をあっという間に知らせもそこそこに切る計画、どころかすでに切られちゃった」とか、うちの近所でもついこないだまで林の生い茂る山だったところがきれいさっぱりまるまるなくなってブルドーザーが整地して家建ててる、みたいなのもよく見かけ唖然としてしまうこともしばしば、市街地からはどんどん緑がなくなってるのを実感します。散歩してても、庭があって木を植えてる家はどんどんなくなってますしね。上記の座間のように、いい感じで緑と共存できないものかなあ...。きっと、緑があったほうが、みんな気持ちがもっとのどかで楽しくなると思うんですがねえ。遠くに旅行に行かなくても、家の近所が旅行気分の美しい眺めで、木々や鳥とかとすぐ出会える、とかだったらすてきだと思いません?
ではでは。
↓これは以前書いた座間の団地のスケッチ。団地も緑がいっぱいでいいですよね。
※1 朔北社刊「一杯のおいしい紅茶」ジョージ・オーウェル 著/小野寺健 編訳 より引用しました。最近レベッカ・ソルニットの「オーウェルの薔薇」(岩波書店)という本のなかでこのエッセイを取り上げるくだりを読みまして、思い出して読み返してます。オーウェルは「動物農場」と「一杯のおいしい紅茶」を絵の題材にしたこともあるぐらい好きなんですが、ソルニットのこの本も骨のある面白い本で、オーウェルからソルニットへと触発された、ふたつの名作が伝えることが現代に響く感じがします。
今週のお題「名作」