saoriotsuka-diary

イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

楽園を舗装しないためには?

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わたしはツイッターで、海外の気候学者とかジャーナリストとかをフォローしたり眺めたりしてるのですが、先日NASAの気候学者ピーター・カルマス氏が、このようなツイートをしてたのですね。

 

ご本人のコメントにもあるように、悲しいですよね。それに、ここのところ、地球上あちこちで高温、山火事、洪水などの悲しいニュースもよく聞きます。そして、ちらほら「それらは気候変動の影響」という見方も伝え聞きます。しっかし、どうしてこんなに気候変動が深刻になっちゃったのか。遡ればそれはもう、1980年代には科学者たちに危機を指摘されていたことなんですが、あらうっかり。わたしたちの社会は「危機だから対応しなきゃ」と掛け声を上げつつも、いろいろありまして現実にはCO2などグリーンハウスガス排出量は全然減るどころか、増える一方だったのですねー。そして、人類はCO2を人工的に回収する技術を大規模実用化していないという現状の中、しかし!有力なCO2回収技術はすでに地球上に存在するそうです。それってなに?

...なんのことはない、木が、森が、そして海が吸収してくれてるんですよ。あら、なんてありがたいの、自然。人間の不始末をフォローしてくれてるんですね。が。上の写真みたいに、その吸収源を、しかも何百年とか何万年単位で育んできた森林システムをあっちゅう間に換金し続けたら、お先真っ暗だろうなあ...と思います。

 

ジョニ・ミッチェルの歌に「Big yellow Taxi」というのがありまして、その歌はジョニがハワイに行った時に、すばらしい環境と自然があるのに、こんな楽園を舗装して、駐車場は作っちゃうわ、自然に生えてた木を引っこ抜いて博物館で展示してるわ、なんかそういうのって、当たり前になっちゃってるけど、おかしくない?というような感想を述べた歌なのですが、現在に至るまで化石燃料を掘るために膨大な環境破壊をしてますし、最近も急激にアマゾンや東南アジアで農業やバイオ燃料の需要でせっせとかつてない規模で熱帯雨林を減少させてますけど、他にも太陽光発電(それ自体は大事な再生エネルギー選択肢ですが)の為にこれまでは環境アセスメントもそこそこに炭素吸収源である森を切っちゃったりもあって、わたしたちの社会はちぐはぐな事をやっちゃってますね。

 

木を切って一度更地になってしまったところも、放っておけば、あるいは植林などすれば、木はまた生えてくるかもしれません。でも、そこに住んでた多様な生物はそこで一旦絶滅してしまえば二度と帰ってきませんし、単に木を植えるだけでは、微生物や菌やらから大型動植物まで、相互に複雑に絡み合って成立してきた生態系は戻ってこないそうです。最近の議論では、気候変動問題は排出ガスに対処するだけでなく、生態系保護も非常に重要だという話もあります。これ以上物事を悪くしないために、持続可能利用をする場所だけでなく、できれば「何もしないでそっとしておく」ほうがいい場所も地球上にはもっと必要なのですが、それがどんどん少なくなってるのですね。ゴリラの生息地も、サンゴ礁も、このまま人類の地球浪費と無策をほったらかしてたらあと30年でほぼなくなるって話です。

 

他人事みたいに言っちゃってますが、自分がやってる事もそれに大いに関係があるわけで、以前にバンクシーだったか、誰かが書いたこんな風刺画を見たんですが、残念、その風刺画を今発見できないんで、わたしの記憶による再現でお届けします(ですのでこのまんがはわたしのオリジナルではありません)。

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あーあーあー。そうだよね。これを見た時結構落ち込みました。わたしもこれ、やってるやってる。うちにある家具だって全部どっかの木を切ってきたものですし、わたしは仕事柄紙の消費が多い自覚があります。木だけでなく、あらゆるシーンでやってる自覚あります。とほほー。けれど、人間はまったく消費をしないで生きていく事はできませんし、必要な消費もあります。住む家や食べるもの、移動手段などは必要ですよね。電気を節約しよう!と言って灼熱の真夏にエアコンをつけなかったら命の危機です。

うーん、でも、どこか、無駄にしてる部分も多いかもしれませんね。何かもっとよりマシな代替の選択肢もあるかもしれません。

 

では、こういう問題を緩和するために、なんかしらわたしにもできる事はないかしら、と思って、わたしは電気会社を再生エネルギー100%の会社にしたり、菜食をしたり、フードロス削減のためコンポストをしたり、プラ包装をなるべくもらわないように気をつけたり、まあ、無駄な消費をなるべくしない努力をちびちびしていますが、一人一人ができる事は超微力で、「大事なのは個人努力でなく、システムチェンジだ。個人努力のほうに気をとられると本質を見失うのでよろしくない」と言う人もいます。確かに、こっちでちまちまミクロの努力をしても、蛇口を閉めなきゃどーにもならん。という事は往々にしてあります。わたしが紙をリサイクルに出したって、そのリサイクルはちゃんと機能してるの?とか、一方で「この森を切り開いて駐車場にします」とか行政が決めたら、ああ無力。でも、いえいえ、ああ無力、で終わらせちゃあいけないよね。じゃあシステムをどうやってひっくり返すかというと、「蛇口を閉める必要がある」と思う人が増えないと、政策なり消費動向なり予算投入なりが変わらないのではないかな?と。

そこで、人間誰しも身に覚えがあると思うんですが、自分が関心のある事には詳しくなるし、どこに問題があるのかもはっきり見えてくるもので、個人努力をするというのは、そういう「問題点が見えるようになるための入り口」だという効果が大きいのではないかと思います。やってる人のほうが、やっても報われなさがわかるわけで、どーにかするには社会を変えねばならん。と思ったりします。さっき「うちにある家具だって全部どっかの木を切ってきた」と書きましたが、なんらか減らそうと意識するとまず「それはどこに生えてた木でどういう経過を辿ってうちに来て、うちから先はどこにいってどーなるのか」を考えるようになります。また、スタジアムのロックコンサートを考えればわかると思うんですが、一人一人ファンが支持して集わないとあのぎゅう詰めの会場の興奮は生まれない。環境問題で言えば、個人努力に積極的な人はコレクティブアクションの大いなる応援団になるポテンシャルがあると思います。

また、個々の影響力という意味では、逆に海辺いっぱいのプラゴミも元はと言えば誰かが気軽にポイと捨てたり、あらうっかり風で飛ばされちゃったり、みたいなものが集合体になって浜辺を覆い尽くしてるわけですから、個人の影響力も侮れないっちゃ侮れないと思います。わたし達が直接アマゾンに行って木を切ってるわけじゃないですが、木を誰かに切らせているのは誰か、となると、まあ、わたし達にもまあまあ責任あるんじゃないかなあ、と、いう。(それに、個人消費が実際に大きな影響の一端であるというお話もあります。それはまたおいおいに)

 

しかしもちろん、忘れちゃいけないのが、そのように個人で努力する事が可能な状況もあれば、皆大変な人生を生きてるわけですから、貧しかったり健康でなかったり状況がままならず、そういう行動が取れない人や場合というのが必ずありますし、すでに多くを持っている人が持たざる者に負担を強いるのも不公平です。また、個人同士で「お前は努力が足りない!」とか責めたりするのも本末転倒というか非常にダメだと思います。(こういう話でありがちなのが、「お前はAという事に取り組んでるのに、Bに取り組まないとはなんたることだ、けしからん。」みたいな展開ですが、人間のリソースは有限かつ人間はうっかりしてるので、そういう事はまあ、起こっちゃいますよね。現にわたしも逆に環境負荷の高い行動もたくさんしてると思います。そこを克服する智恵もまたどなたかに借りたいなあと思いつつ。)しかし、個々がささやかでも何か実行可能な事を考えてみたり、知恵をシェアしあったりして社会を後押しし、全体のシステムを変えるきっかけを作れる部分もあるかなあとも思うし、「自分にもできる事があるのでは」という希望を持つのは「自分は無力だ」と思うよりは問題解決には大事ではないかとも思うんですよね。ピープルハブザパワー。個人の生活でもできる事をやりつつ、コレクティブアクションにつながるような「できる事」も探したいなあと思う今日この頃です。

 

追記:

書いてるうちになんだか壮大な話になってしまいましたが、なぜしがないイラストレーターが、こんな壮大な話をしてるのかというと、まあ、地球に住まわせてもらってるから、気になるんですよね。だって、木々や動物や虫たちがいなくなったら悲しいし、自分たちが住めなくなったら困るし。

https://twitter.com/ClimateHuman/status/1414052039101878274?s=20