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イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

仕事紹介ー信濃毎日新聞 思索のノート第3回です

あらあら前回書いてからうっかりもう一ヶ月近く経ってしまい、連載の3回目ですね。

信濃毎日新聞のClimate Integrate.org代表の平田仁子さん連載「思索のノート 脱炭素の先に」の第3回は6月9日の日曜に掲載され、今回もイラストを描いています。

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Columns | Climate Integrate

今回のお題は石炭です。石炭って、今時そんなものもう使ってないんじゃあ?と思ったらどっこい、

 

"日本の温室効果ガス排出の4割近くが石炭由来であり、発電と製鉄に多く利用されている。特に、私たちが使う電気の3割を生み出している石炭火力発電は国内最大の排出源である。"(本文より引用)

 

なのだそうです。石炭はそのようになんとなくわたしたちに「見えてない」のですが、石炭が引き起こす気候変動への深刻な影響は「見えてない」ではすまされないのですね。それについてのお話です。

なぜ日本では石炭の問題が知られていなくて、対策も遅れているのか、そんな中で平田さんが何に取り組まれているのか(すばらしい成果です!)、ぜひコラムをお読みください!

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で、ちょっとここから平田さんの記事からは脱線しますが。

近年、山間部の美しい自然の中に突如メガソーラーが、とかの問題がありますが(もちろんわたしも自然、森林破壊をしてメガソーラーを作るのはよくないと思いますが)、その場合、被害が非常に目に見えやすいので問題を認識しやすいんですが、火力発電の大気汚染などは簡単には見えてこない被害なので、問題理解が広まらないのですね。火力発電はCO2が大問題なのはもちろんですが、それ以外にも大気汚染などの問題もあまり知られていないのですがあります。気候ネットワークさんのブログなどで問題を知ることができまして、そこからの引用になりますが”世界保健機関(WHO)によると大気汚染による早期死亡は世界で年間700万人にもなります。”)

同様の問題として、風力発電でのバードストライクも、風車の下でなくなっているオオタカなどを見るとわたしも悲しく、なんとかならないのかと思いますし、その問題も防止できるように取り組んでほしいなとも思いつつ、しかし風力発電よりも人間活動(ビルディングだったり)や猫の放飼いなどによる鳥の被害のほうがものすごいという事実もあるらしい↓んですね。

www.yamashina.or.jp

"現在人間が鳥にもたらしている脅威は風力発電だけではありません。本稿では、北米での年間バードストライク死亡数を40万羽と推定した研究を紹介しましたが、同研究では、同じく自動車に轢(ひ)かれて死亡する鳥は年間8000万羽、さらには、飼い猫やノネコに殺される鳥は年間10億羽もいると推定されています。(上記記事より引用)"

 

で、まーこういう話をすると「だからあっちのほうが悪くてこっちは悪くない!」とか、そういう話によく持ってかれがちなんですが、やっぱりそうではなく、物事を改善するには、よりマシなほうを選びつつも、その中での被害の軽減、減少も同時に目指していくことが必要ではないかなあと。

再エネを推進していかないと、大きなスパンで本当に人類や他のあらゆる動植物への影響は多大なのは確かです。なので、進めなきゃいけないんですが、再エネの推進には適切な場所選定や環境アセスメントが必要ですし、廃棄物問題も先送りにしちゃいけない。けども、だからと言って火力発電や現状維持を続ける理由にしてもいけない、という感じでしょうか。

それと、個人が我慢して我慢して、っていう省エネはよくないというか結局弱い人が皺寄せを食うし持続不可能とも思いますが、社会全体ではやはり「不要なものを省いたり過剰消費を抑えて最適化」という方向で省エネもしないと、「技術が開発されてもそれを理由にエネルギー消費機会を過剰にしたら、総量では使用量が減ってないどころか増えちゃう」ってのもありますし。

例えば、いくらLEDの消費電力は低いと言っても、だからといって駅の構内の柱という柱にLEDビジョンとかくっつけてCMを見るような習慣を作らなくても、ほんの何年か前までは困りもせずに生きてきたような気がするんですがねー。

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ちなみに、この連載、イラストには毎回タイトルがついてまして、今回は「A Portable Climate」です。これは、ラルフ・ウォルド・エマーソンが「富について」のエッセイで石炭、coalをそう(当時の感覚では良いものとして)呼んでいたのです。石炭とそれを利用した蒸気機関の利便性を称える話の中で、

 
"For coal is a portable climate. It carries the heat of the tropics to Labrador and the polar circle: and it is the means of transporting itself whithersoever it is wanted.
石炭というのは持ち運べる気候である。それは熱帯の熱を、(カナダの北東)ラブラドールや北極圏、どこへでも運び、またそれ自身を運ぶ手段でもある。(拙訳わたし)"

 

と書いてまして、うううーん、今となってはなんと皮肉な...と思ってしまいました。今や世界中にその熱は運ばれ、冷ます手段はないという...
 

ではまたー。