saoriotsuka-diary

イラストレーター大塚砂織の由無し事を綴るページです。仕事の紹介もしますが、ベランダ園芸の話やたわいない話が多いかも。

きれいにするということは

 


ブラシの木の季節ですね。わたし、ブラシの木って、ヘアブラシの事だとずーっと思ってて、ヘアブラシには見えないよなあ、と思ってぼんやりとこの年まで生きてきたんですが、ふと英名を調べると、Bottlebrush plantsというんですね。

 


 

言われてみれば、それだよ!それしかないよ!って今更気づきました。きれいな花なんだけど、きれいにするほうのものに似てるのだった。人生って長く生きてても知らなかったり勘違いしてる事で満ち満ちていますね。おほほ、はずかし。そのブラシの木(ちゃんとした名前だとブラシノキですが)、カリステモン属でして、カリステモンというのはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味(by wikipedia)で、このブラシの赤いほわほわは雄しべなのであり、よく見ると雄しべに混じってひときわ長い雌しべがぴょいぴょい出てたりもするんですね。種は集合恐怖の人にはけっこう厳しいビジュアルな感じもしますが、故郷のオーストラリアでは、この硬くつぶつぶした種子たち、山火事などがあると弾けて撒かれるようです。しかし、最近のように山火事が多いと、撒かれてもまたすぐ若い木が焼かれてしまいそうでちょっと心配ですね。どうなんでしょうか。山火事の跡にすぐ生えてくるきのことかもあるそうで、そのきのこは逆に普段はじっと菌糸として待機してたり、自然というのはいろいろ不思議なもんです。というか、なんでこんなにボトル洗いブラシに似てるのか。人間が模倣したのかしらん。

 

ところで、ボトル洗いといえば、よく醤油とか調味料のふた、洗って捨てる時、分別して捨てたいのに分別できないものってありますよね。蓋の部分を引っ張って、くるっと剥いて外す、という方式のヤツ、どうもうまく外れないものも多くないですか。こうなっちゃうと、もうペンチとかないと外せなくて困ってます。

 


 

また、ボトルのふたなど、環状に閉じたプラスチックごみは必ずハサミで輪を断ち切ってから捨てるようにしています。

 


 

分別しているとはいえ、物事なんの偶然と因果で最終的に海のウミガメやらカモメのくちばしやらにすっぽり納まってしまうとも限りませんからね。というか、自分が分別してきちんと捨てて、家の中から消えてああきれいさっぱり、と思ったら、自分の家じゃない所が大惨事。そういうのちゃんとなってると勘違いしていたよ!というような事がこの高度分業型資本社会には満ち満ちていますので、それこそ人間活動の後始末は環状に閉じたサイクルで自然にはみださないようになるべくできるといいのになあと思います。こういう輪を切りながら、この輪にすっぽり入ってしまう生き物ってなんだろか、とかお腹いっぱいこれを食べちゃってる鳥やら魚やら想像しだすと、やるせない気持ちになってきます。せめて全部同素材で同色とかに規格統一してマテリアルリサイクルとかしやすくする、とか、使用を減らすいいアイデアとかないものかなあ...。ぷちん。とかモヤモヤ思いながら切ってます。便利だからこそ使われてるわけで、これがないと困るよ、という局面もまだまだあるとは思うんですけど、減らせるところは減らせるといいですよね。こう、なんか、システムの中のボトルネックになってる部分もぷちんと切れないものかしらねえ...。と、なんか話が脱線しましたね。 ではでは。